父親の性格が豹変

増井さんが30代後半だった2014年春、父方の祖母が亡くなった。

当時、73歳の父親と69歳の母親と3人で葬儀へ電車で向かったが、数駅先の降車駅に着いたとき、離れた席にいた父親の姿が見えない。

慌てて周囲を探すが、父親は見つからない。父親は携帯電話も持っていないため、とりあえず、葬儀場についてから自宅に電話をかけてみると、なんと父親は家に帰っていた。途中で電車を降り、ひとりで家に帰ってしまったらしい。

親戚が車で父親を迎えに行ってくれたが、今度は駐車場から葬儀場まで来る途中で、またもや父親が行方不明に。親戚が、「おじさん、こっちですよ」と振り返った瞬間、もう姿がなかった。すぐに見つかったが、その後もフラフラと落ち着きがなく、葬儀場を出たり入ったり、ほとんど葬儀に参列していないようなものだった。

「今思うと父は、70歳ごろからボケ始めていたのかもしれません。定年後、以前よりも私や母に話しかける頻度が増えたのは、自分でわからないことが増えてきて、家族に訊ねて解決しようとしていたということでしょう。もともと父は、人の話を要領よく理解できない人だったので、はっきりとした時期や状況はわからないのですが、徐々に『ボケて理解できていなくなっているのだな』と感じるようになりました」

2016年に入ると、父親は日に日におかしな言動が目立ち始めた。例えば、シルバー人材センターの給料日でもない日に、1日に何度もATMに行き、入金の確認をする。当然、給料は振り込まれていないわけだが、「振り込まれていない!」とキレながら帰宅。増井さんや母親が、「給料日はまだでしょ?」と言うと、「うるせー! お前は黙ってろ!」と怒鳴る。

「父はおとなしい性格でしたが、ボケ始めてから短気になりました。特に金銭的なことで自分の思い通りにならないと、暴力で押し通すのです。自分でトンチンカンなことを言ったりやったりしたにもかかわらず、すぐに勝手に『うるせー!』とキレていました」

増井さんや母親は殴られることもあり、顔にできたあざがしばらく消えないこともあった。父親の主な標的になったのは母親。増井さんはそれを防いだりなだめたりする役目だったが、高齢とはいえ父親の腕力には太刀打ちできない。拳を振り上げられると、一瞬ひるんでしまう。それがちょっとした優越感なのか、父親は面白くないことがあるとすぐに暴力の行使をちらつかせた。

ストレスを感じている女性のシルエット
写真=iStock.com/kieferpix
※写真はイメージです

70歳を超えてから、父親はどんどん早起きになり、朝4時ごろから活動を開始するため、増井さんは父親が何かしでかさないよう見張らねばならなかった。

シルバー人材センターの出勤日でないのに出勤してしまったときは、「誰も来てない!」と怒って帰って来たり、「おかしいなぁ~?」と不思議がって帰ってくるくらいならまだマシで、朝4時に他の仕事仲間の家に電話をかけてしまたったりすることがあった。

それを阻止するため、増井さんは平日だけでなく、休日も早朝から気を張らねばならない。それは母親も同じで、2人は精神的にも肉体的にも疲弊していった。