※本稿は、小川和久『総理、国防も安全も穴だらけ! 国民を守れない国・ニッポン』(扶桑社)の一部を再編集したものです。
「元首相が銃撃される」という大事件
2022年7月8日、安倍晋三元首相が銃撃された。
それをネットの速報で知ったとき、私の中にはくるべきものが現実になったという、醒めた気持ちしか湧いてこなかった。悲しみの感情はなかった。ただ、シンゾーを死なせたのは自分だという思いだけが強まっていった。
安倍氏とは面識もある。食事をしながら意見交換したこともある。首相官邸の会議のメンバーとして日本版NSC(国家安全保障会議)の創設に取り組んだこともある。好感も抱いていた。安倍氏の秘書官時代の仲間に倣って、心の中ではシンゾーと呼ばせてもらってもいた。日本国の未来を託せる人物だと期待もしていた。
通行人が撮ったスマホの画像の中で、シンゾーは顔を苦痛に歪めることもなく駆け付けた人びとの心臓マッサージを受けていた。一目で即死状態だと分かった。息絶えていく安倍氏の姿が、日本国の姿と二重写しになって私の脳裏から離れなかった。
日本は本当に安全な国なのか?
安倍氏は日本のセキュリティの未熟さゆえに命を失った。安倍氏は権力維持のために巧みに「官邸ポリス」と呼ばれる警察官僚OBらを使って憲政史上最長の政権という金字塔を打ち立てたものの、頼りにしてきた警察の無力さに気づかなかったせいで自らの首を絞めることになった。
私は20年以上前から指摘してきた日本警察の短所が2022年段階になってもまったく改善されていないのに愕然とし、天を仰いだ。日本が苦手としている国家・社会の安全面の課題が安倍元首相の暗殺という形で噴き出したのだ。専門家の一員として役に立たなかったことが悔やまれた。
このまま放置すれば日本は危機管理の面から国を滅ぼしかねない。それは自分たちの家族や縁者の、愛する者たちの生死にも関わる。安倍氏の絶命が報じられる頃には、私はタイミングを失しない時期に世論喚起の書を世に出しておこうと心を決めていた。

