元プロスノーボーダーがコメ業界を切り拓く
新米5キロ、1万5000円。この価格で、すでに「在庫わずか」と告知しているコメ農家が、新潟の南魚沼にいる。関農園5代目、関智晴さん40歳。後に詳しく記すが、コメ業界では知らぬ者のいない若きレジェンドだ。
2025年の年末から今年の年始にかけて、全国のスーパー約1000店で販売されたコメ5キロの平均価格は4416円(税込み)で、過去最高額を記録した。その3倍を超える価格でも国内外から注文が絶えないコメを作り上げた男は、元プロスノーボーダーでもある。
20代半ばでスノーボードからトラクターに乗り換えた関さんはいま、約20ヘクタール(約140枚)、東京ドーム5個分の田んぼを管理している。後継ぎのいない同業者の田んぼを引き受け、徐々に耕作面積を広げてきた。
「これまではコメが安すぎて、コメ農家がまったく儲かりませんでした。コメだけで安定的に利益を出すのは相当な規模や工夫がなければ難しく、子どもがいても後を継いでと言い出せないような過酷な世界だったんです」
かつての関農園も、同じ状況だった。コメ農家の苦境もポテンシャルも知る関さんは、どうやってコメ業界のバックカントリーに挑み、切り拓いてきたのだろう?
スーツを着る仕事に憧れた少年時代
関さんが子どもの頃、冬の自宅は石打丸山スキー場にあった。両親がゲレンデの中腹で宿泊施設を兼ねた食堂「モンブラン」を営んでおり、スキーシーズンは一家で住み込んで働いていたのだ。関さんも、物心ついた時にはカレーやラーメンを運んでいた。
「学校に行く時はスキーで下まで降りて、知り合いの家にスキーの板を置いて、そこから歩いて通っていたんです。学校が終わると、リフトに乗って食堂に帰りました。両親はとにかく忙しかったので、食堂にいる時はよくお客さんと一緒にスキーをしていましたね」
冬が終わると、コメ作りが始まる。当時はまだ機械化が進んでおらず、特に田植えや稲刈りの時期には、祖父母や両親が早朝から深夜まで働く姿を見てきた。家族が一息つくのは、稲刈りが終わった後の短い期間だった。
それでも、関さんが小学4年生からミニバスケットボールを始めると、両親は仕事の合間を縫って送迎をしてくれた。当時は汚れた作業着のままトラックで迎えに来る両親を恥ずかしく思い、スーツを着て会社員をしている同級生の親に憧れたという。いつしか、「農業は一番やりたくない職業」になっていた。



