「オタク気質」に火がついた

人ごみをかき分けて、スターと挨拶を交わす。アドバイスを求めたかったが、常に人に囲まれていて、ゆっくりと話をできる状況ではなかった。周りを見渡してほかの受賞者に声をかけると、おおらかに質問に答えてくれた。

この瞬間、関さんの「オタク気質」が震えた。その受賞者ともっと話したいという気持ちが抑えきれず、宿泊するホテルを聞いて、その場で予約。コンクールが終わった後、ホテルでさらに話を聞いた。長い1日が終わる頃には、メラメラと燃え上がっていた。熱気冷めやらぬ関さんは、翌日に帰宅すると前のめりになって父親のところへ向かった。

「コンクール見に行ったんだけど、めちゃくちゃすごかったぞ! 絶対うちも目指していかないとダメだ!」

父親も驚いたことだろう。なにしろ、前日まで「生活するために仕方なくやる仕事」として仕方なく田んぼに出ていた息子が、まるで別人の勢いでコンクールについて話しているのだ。同時に、息子の変化が喜ばしかったに違いない。父親は大きく頷いた。

「じゃあ、コンクール狙っていくか!」

関農園で収穫された稲
筆者撮影
コンクールをきっかけに、コメ作りにのめりこんだ

米・食味鑑定士協会が主催する「米・食味分析鑑定コンクール」は、1998年に開幕した。第1回は400検体に満たなかった出品数が右肩上がりに増えて、今や5000を超える。第10回(2008年)より海外からの参加も認められており、世界最大級の国際コンクールだ。そのなかで、最高賞の金賞に選ばれるのは毎回20名弱という狭き門である。

コメ作りの名人に行脚の日々

関親子は、大胆な行動に出た。全国に散らばるコメ作りの名人に教えを請うたのだ。

最初に訪ねたのは、南魚沼でいち早く「米・食味分析鑑定コンクール」に参加し、地域を代表する存在となっていた笠原農園の笠原勝彦さんだった。関さんは面識もない笠原さんにいきなり電話をかけ、「明日、伺ってもいいですか」と頼み込んだ。笠原さんは、同じ地域の若手農家の求めを受け入れた。これを機に笠原さんのもとに何度も足を運び、話を重ねるようになった。そのうちに少しずつ距離が縮まっていった。

関さんは折に触れて「いつか遠藤五一さんのところにも行ってみたい」と伝えていたという。するとある日、「一緒に行くか」と声をかけてくれた。こうして関親子は、山形へと向かった。

「日本一のコメ職人」とも称される、山形県高畠町の遠藤農園12代目、遠藤五一さん。有機農法で作ったコメで「米・食味分析鑑定コンクール」に出品し、2003年から5年連続金賞を受賞した。この時、5回連続のコンクール入賞と3回以上の金賞の受賞者のみが授与される「ダイヤモンド褒賞」も受け取っている。2025年時点で、この賞を受けた人は全国に7人しかいない。笠原さんもそのひとりだ。

コンクールを通じて遠藤名人と面識があった笠原さんが橋渡し役となり、関親子は貴重な学びの機会を得た。さらに笠原さんは、コメ作りの巨匠として知られる群馬・水上の本多義光さんも紹介してくれた。山形と同じくこちらも笠原さん夫妻とともに、4人で訪ねたという。

ほかにも電話アタックや先人のツテをたどり、関親子はおよそ30人の名人を訪ね歩いたという。ここでひとつ疑問がわく。同じコメ農家とはいえ、コンクールではライバル。親しくもない親子に、気軽にノウハウを教えてくれるものなのだろうか?