コメ農家のひよっこ「日本一を作る」
「一方的にコンクールで評価されるコメの作り方を教えてほしいと言っても難しいですよね。それで、うちは父親がこだわっていた田んぼの微生物や菌を活かすコメ作りについて話をすることにしました。ギブアンドテイクのような形にすることで、具体的な方法をたくさん教えてもらうことができました」
名人たちはみな、コメ作りに貪欲だ。関さんの父親が独自の工夫をしてきたことが、名人たちにも評価されたのだ。
名人行脚をしている間も、関さんはもとの滑りができるようになるという一縷の希望を抱き、スノーボードの仕事を続けていた。しかし、コメ作りを究めたいという思いがムクムク大きくなっていることを実感した。
ケガから復帰して2年目、2012年の冬、やはり思い通りに滑ることができないと自覚した時、「中途半端は良くない。もうコメ一本に絞ろう」と腹をくくった。新たな目標は「日本一のコメを作ること」。まだコメ農家のひよっこだったにも関わらず、27歳の関さんはこの目標を実現できると確信していたという。
「死ぬほど考えるだけでいい」
「スノボで研究して、考えて、練習することなら、誰にも負けないと思っていました。でも、スノボの場合、恐怖心を乗り越えなきゃいけない。下手をすると死ぬかもしれないから、めちゃくちゃ怖いんです。コメ作りには、そのリスクがない。死ぬほど考えるだけでいい。それならできると思いました」
関さんが名人たちから学んだのは、徹底した科学的アプローチ。おいしさにつながるいくつもの要素を細かく分析して、数字を突き詰める。その数字を安定して出すためにどう栽培するか、というのが勝負どころだ。
「1次審査ではコメに含まれる水分量やタンパク質などを計測する『食味値』で85点以上取らないと次に進めません。例えば、コメに含まれるタンパク質の割合を低くすると、食味値が高く出ると教わりました。そのためにタンパク質を抑える栽培方法があるんです。ほかにもいくつかの要素を取り入れたら、1次審査を突破するのは難しくありません」
難関は、コメ粒の光沢や粘りに関係する「保水膜」の厚さを測る2次審査の「味度」だった。その頃、名人たちも誰ひとり「味度」で高得点を出す方法を知らず、試行錯誤を重ねていた。関さんはそこにチャンスを見いだし、一心不乱に「味度」の解明に突き進んでゆく。
当時、標高500メートル以上の場所で作られたコメが「味度」の高得点を出す傾向が強く、カギを握るのは標高だと指摘されていた。関さんはそこで歴代の受賞者の生産地、気候、高度、点数を分析した。すると、必ずしも標高だけで決まるわけではないと気が付いた。

