江戸時代の遊廓・吉原は「1日で千両の金が落ちる」と言われるほど、多くの男性がつめかけた。遊女にとっては非常に過酷な労働環境だったため、中には「ふられる客」もいたという。作家・永井義男さんの著書『図説 吉原事典』(朝日文庫)より、一部を紹介する――。
「ダブルブッキング」が普通だった
廻しとは、遊女に同時間帯に複数の客をつけることである。ダブルブッキングと言ってよい。
妓楼が売上を伸ばすための方策だったが、遊女にとっては過重労働だった。
本来であれば廻しの場合、遊女は客の寝床を行き交い、平等にあつかわなければならないのだが、毎日、ひと晩のうちに複数の客を相手にしていたらとても体がもたない。気分や体調がすぐれないときもある。
「のこらずの客へ実をもってまわらば、身も夜もつづく事にあらず」
と、『古今吉原大全』(明和5年)も遊女の苛酷な労働の実態を認めている。
客を「ふる」のは遊女の怠慢ではない
そこで、遊女はいろんな理由をつけて、客を「ふる」ことがあった。客に向かって、「ちょいと待っていておくんなんし」などと気休めを言い、けっきょく戻ってこないのである。
客にしてみればきちんと規定の揚代を払いながら寝床に放っておかれ、独り寝を余儀なくされるのだから、こんな理不尽はなかった。しかし、「廻し」と「ふる」を遊女のわがままや怠慢、狡猾と見るのは必ずしも正しくない。
この廻しに関して、「もてた」「ふられた」という言い方をする。ちゃんと遊女が自分の寝床に来たときは「もてた」、けっきょく来なかったのは「ふられた」である。
登楼したものの見事にふられた客を、「醜男で無粋だから、ふられる」などと解釈する向きもあるが、これは廻しを滑稽噺に仕立てた落語の影響であろう。なお、廻しでふられた男を滑稽に描いた落語に『五人まわし』がある。
「もてた、ふられた」を文字通りに受け取るのは正しくない。遊女が客をふる背景には、やはり妓楼が無理な廻しを押し付けていたことがあった。