愛知県碧南市のトヨタ系の1次サプライヤー、旭鉄工。1941年創業の老舗メーカーがいま注目を集めている。かつて赤字続きだったが、婿入り社長・木村哲也さんのアイデアで黒字企業に生まれ変わった。従業員の給料を増やし、社内の設備も新しくすることができた。どんなアイデアで会社を生まれ変わらせたのか。中小企業診断士でライターの伊藤伸幸さんが取材した――。
木村社長
筆者撮影
旭鉄工の木村哲也社長

「有料の工場見学」に見学者が全国各地から集まる

一人3万3000円(税込)の「有料の工場見学」に見学者が殺到している会社がある。

愛知県碧南市に本社があるトヨタ系の1次サプライヤー、旭鉄工。1941年の太平洋戦争勃発の約4カ月に創立され、83年の歴史を持つ老舗メーカーだ。自動車のエンジン部品、エンジンから発生した力をタイヤに伝えるトランスミッション用の部品を製造している。その工場には、2023年度の1年間で600人以上もの人が訪れた。

工場見学の様子
写真提供=旭鉄工
工場見学の様子

売上169億円(2023年度)、従業員400人強(2024年5月時点)で、工場のデジタル変革(DX)を進めて年間10億円の利益アップを実現させた。今では経営改革に成功した企業として、数多くのメディアで紹介されている。

しかし、現社長の木村哲也氏が入社する前は、変化することが許されない「変わらないことが正義」が染みついた会社だった。

物心がついたときから自動車が大好きだった

1967年、兵庫県神戸市に生まれた木村氏は、物心がついたときから自動車が大好きな子供だった。小さい頃から車に関する本をよく読んでいた。その後、芦屋市に引っ越し、芦屋市立山手中学校に通う。さらに、県内でもトップクラスの中高一貫の進学校である私立白陵高等学校へ進学した。

「無駄なことをするのが大嫌いな性格で、とにかく非効率な勉強はしたくないと思っていました。だから人よりも勉強をしないで成績を良くするにはどうしたらよいかをいつも考えていましたね。それでも集中して勉強するときは結構時間をかけてやっていました。一番頑張ったときは高2くらいかな。夜中の2時まで勉強して、また朝5時に起きてやっていました。でも学校で寝まくっていたので、逆にそのときは成績が落ちました(笑)」

東京大学理科1類に合格し、大学院に進学する。このときも研究よりも車に夢中だった。無類の車好きが高じて、1992年、トヨタ自動車への就職を決めた。トヨタでは技術部門に配属され、主に車両運動性の実験や開発に携わる。オーストラリアの現地法人に赴任し、テストドライバーとして速度制限のない公道で思いっきり車を走らせたこともある。大好きな自動車に関わる仕事だったので、毎日が本当に充実していた。ずっとこの仕事を続けていきたいと思っていた。

駐在時代の木村社長(右)
写真提供=旭鉄工
駐在時代の木村社長(右)