NHKで流れた「吉原の女郎はいい女」の意味
偽板(海賊版)を摘発された鱗形屋孫兵衛(片岡愛之助)に代わり、蔦重こと蔦屋重三郎(横浜流星)はいよいよ自分が板元(出版元)になって、吉原のガイドブック『吉原細見』を出していく決意をかためた。NHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」の第7回「好機到来『籬の花』」(2月16日放送)。
蔦重はこれまでの2倍の部数を売るために、制作費を半分に抑えて価格を下げ、同時に内容の充実を図る。ところが、地本問屋(江戸で出版された地本を企画、制作、販売する本屋)たちはあの手この手で蔦重の邪魔をする。
吉原の女郎屋や、客を女郎屋に案内する引手茶屋の主人たちは、当初は蔦重が板元になれば、吉原が自前の地本問屋を持つようなものだからと歓迎していた。しかし、やっかいな邪魔に耐えかねた主人たちは蔦重に、板元になるのはあきらめるように諭した。このときの蔦重のセリフが印象的だった。
「女郎の血と涙がにじんだ金を預かるなら、女郎に客が群がるようにしてやりてえじゃねえですか。吉原の女郎はいい女だ、江戸で一番の女だって、胸張らしてやりてえじゃねえですか」
吉原の女郎と外国の娼婦との違い
結果的に、安くて見やすい『吉原細見 籬の花』をバカ売れに導いた蔦重。そんな彼がいった「女郎の血と涙がにじんだ金」とは、いうまでもなく、女郎が客の男性に体を売って稼いだ金のことである。
吉原の女郎とは、早い話が娼婦であり、娼婦とは売春に従事する女性を指す。売春は「世界最古の職業」といわれ、男性の性欲があるところ、すなわち人間が居住するありとあらゆるところで行われてきたと思われる。だから、世界の娼婦のあいだには共通点も多いが、じつは、違いが際立つ点も少なくない。
漠然と述べていてもわかりにくいので、ここでは吉原の女郎を19世紀パリの高級娼婦とくらべてみたい。
吉原の女郎たちがもっとも特徴的なのは、娼婦という職業が世界的に差別されがちななか、あまり差別されていなかったという事実だろう。そこで働くことがいかに苦しいか、よく理解されていたことが背景にある。
吉原の女郎のほとんどは、親の借金の担保だった。表向きは奉公ということになっているが、事実上、経済的に困窮した親が娘を女郎屋に売り渡していた。だから、客が年季証文を高額で買いとって身請けしてくれないかぎり、客をとるようになってから原則10年は「年季奉公」する必要があった。
それが「苦界十年」と呼ばれたのだが、10年間、勤め上げられればまだマシで、日々性病などのリスクにさらされ、20歳そこそこで命を落とすことが非常に多かった。