足を洗った女郎が結婚

要するに、吉原には自分の意思で女郎になった女性などほとんどおらず、当時の江戸の住人たちはそのことを知っていた。ましてや「男が好きだから女郎になった」などと不遜な解釈をする人間は、まずいなかった。自分の身を犠牲にして家族を救おうとしている親孝行者、というのが女郎に対する一般的な認識だったのである。

今西一氏は『遊女の社会史』(有志舎)に、元禄時代(1688~1704)に長崎のオランダ商館にやってきた医師、エンゲルベルト・ケンペルの言葉を引用し、こう書いている。「ケンペルは、日本では娼婦が普通に結婚していることに驚いている。当時のヨーロッパの娼婦では考えられなかったことであり、娼婦は賎民として差別されていた」。

安永4年(1775)、すなわち蔦重が『吉原細見 籬の花』を刊行した年に来日したスウェーデンの植物学者、カール・ツンベルクも『江戸参府随行記』に、女郎として働いた女性が差別のまなざしを向けられることなく、ふつうの結婚をしていることを「まったく奇異」だと記している。