弟夫婦とのバトル
実家での同居は断ったものの、市原さんは、「もう母親を一人にしてはおけない」と思い、悩んだ。
数年前、母親が市原さんの家に遊びに来たときに、「こっちで一緒に暮らさない?」と言ったことがある。すると母親は、「もう歳だし、こんな遠いところには来たくない。ひーくん(市原さんの弟)と住むかもしれないねえ」と答えた。
「弟から『一緒に住まないか?』と言ってもらえるのを待っているようでした。『長男といつかは同居を』と願うのは母の年代の人には普通でしょう? 寂しそうな顔を見ていたら、同居を申し出ない弟を責めたい気持ちになりました」
2012年10月、市原さんは夫とともに、弟夫婦と4人で話し合いの場を持った。
「お母さん、認知症になっちゃったんだけど、どうしようか。あのまま一人で置いておけないよね」
市原さんが話し始めると、すかさず弟が言った。
「ぶっちゃけうちも見るの無理だわ。こいつ(弟の妻)だって仕事あるし。子供3人だってまだ小さいしさ」
いつもは口数の少ない弟の妻も、続いて言った。
「すぐに施設を探しましょう。特養は待ちがあるから、すぐに入れるところに入ってもらうのが良いと思います」
まだ施設のことを考えていなかった市原さんは、「少しでも自分が見てやろうという気持ちはないの?」と、面食らう。
「あんた長男でしょ? お母さんはあんたと住みたいって言ってたんよ。家も近いんだし、見るのが当然だと思うよ」
と市原さんが言うと、弟の妻が、
「私はお義姉さんが見るのかと思っていました。お義母さんはお義姉さんと一緒に住みたいと言っていたんです。母親が娘と住みたいと思うのは当然ですよね?」
と声を大にして、大喧嘩に。
この日以降、市原さんと弟との交流も連絡も途絶えた。
悩んだ市原さんが後日、「関東に母親を呼び寄せて介護する」と言うと叔父は、「知らない土地で生活させると認知症が進む」と反対。弟が介護するか、市原さんが関西に来て介護するべきだと言うが、市原さんの娘たちはまだ16歳と12歳。家族を残して関西に来ることはできない。
逃げ腰なのは弟も同じようで、見かねた叔父が、「俺が面倒を見る。見たくない者が介護をやっても、姉ちゃんにかわいそうな思いをさせるだけだ!」と言って介護を引き受けた。
市原さんは胸の痛みを感じつつも、「自分の生活は守られた」と安堵した(以下、後編へ続く)。