出会いと結婚

市原さんは大学の卒業旅行で、友達とオーストラリアへ行った。現地でたまたま中学生時代の友人に再会し、その友人が所属しているダイビングスクールに顔を出したところ、1つ年上の日本人男性と知り合う。それが現在の夫だ。

同じく卒業旅行で来ていた夫は関東在住だという。大学生バックパッカー同士、その後も行く先々で偶然会い、その度にお互いの友達たちと楽しく過ごした。

シドニーのオペラハウス
写真=iStock.com/simonbradfield
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帰国後、旅先で撮った写真を送るため、連絡先を交換していた市原さんたちは、文通を開始。やがて交際に発展し、3年後の1993年に、26歳と27歳で結婚した。

ところが結婚直前、夫の両親に問題が起こった。義父が株で大損して借金を作り、家を抵当に入れていたため、義実家を手放さなくてはならない危機に陥ったのだ。

一時は結婚を白紙に戻そうかという話まで出たが、市原さんはどうしても夫と結婚したかったため、自分の実家からの経済的援助を受け、結婚式を決行。

当時60歳の義父は、数回転職歴のある中堅商社マン。53歳の義母は、高卒後4〜5年銀行勤めをした後に結婚し、その後はずっと専業主婦。物腰は柔らかく、“いいとこの奥様”といった印象だが、几帳面で頑固なところがある。

「結婚する前、義母が私に、『自分のことは自分でね』と、言ったことが今も頭から離れません。その割には、私の母や叔父が結婚費用をほぼ全額出したことに謝罪もお礼もない。一人っ子の長男の結婚なのに、まるでひとごとのよう。ずっと義母を理解できず、悩みました」

もちろん、夫は市原さんの母親や叔父に謝罪やお礼を伝え、母親や叔父は、「お金がある方が出せばいい」と言っていた。しかし、その後もずっと母親は、「お金のことはいいとして、どうして向こうの親は一言もお礼を言ってこないのかしら? 嫁に出す側のこちらが主導権を持ってしまって、気分を害したのかしら?」と気にしていた。

「“片親コンプレックス”を持っていた母は、私のために必死でした。だから私の義父母に対して、『母子家庭だから蔑まれているのか』と考えていたようです。あの時、義父母から一言でもお礼と謝罪の言葉があれば、どれほど母は救われたでしょう。私も若く、母の気持ちに気が付けず、能天気でした」

大学卒業後、高校教員をしていた市原さんは、結婚を機に関東へ。関東で高校の非常勤講師をしていたが、1996年に29歳の時に長女の出産するタイミングで離職。2000年には次女を出産。

「お金より、気持ちの面でいまだに許せていません」という市原さんは、腹に一物を抱えつつも、義両親と適度な距離感を保って付き合った。