1962年8月5日、36歳という若さで突如逝去したアメリカ人女優マリリン・モンロー。家政婦の証言や死後解剖の不可解な点から、他殺説を含む多くの謎が残るなか、警察は自殺の可能性が高いとして捜査を終了した。絶世の美女と謳われた女優に何があったのか。別冊宝島編集部・編『知れば知るほど泣けるマリリン・モンロー』(宝島社)より、一部を紹介する――。
※本稿は、プレジデント・オンライン編集部で一部を再編集したものです。
ケネディに捧げた「ハッピー・バースディ」
マリリンは、1962年春にゴールデングローブ賞のヘンリエッタ賞に輝いている。ヘンリエッタ賞は世界で最も好かれた女優に与えられるものだ。現在はなくなった賞だが、マリリンにはふさわしい賞だった。
そして、新作映画「女房は生きていた」の製作が発表された。マリリンが主役で20世紀フォックスとMMPの共同作品だった。
マリリンは撮影開始の数日前に副鼻腔炎になった。そのため、4月下旬に始まった撮影の大半を休まざるを得なかった。しかし、20世紀フォックス側は、それをマリリンの仮病と受け取った。
さらに、5月19日、マリリンはマジソン・スクエア・ガーデンで行われたケネディ大統領の誕生会に出席した。体のラインを強調したベージュの衣装で登場したため、観客たちは、マリリンが裸で登場したと勘違いした。
ここで、マリリンは、酔ったようなハスキーな声で「ハッピー・バースディ」を歌った。観客たちは大歓声を上げた。伝説が生まれた瞬間だった。
ケネディ大統領の誕生日祝賀会の後にケネディ兄弟と話すモンロー(写真=Cecil W. Stoughton, official White House photographer/Public domain/Wikimedia Commons)
20世紀フォックス側は、マリリンがケネディ大統領の誕生会に出席したことで、マリリンの仮病を確信したが、マリリンは「女房が生きていた」の宣伝のためにヌードを披露することで、手打ちをした。

