▼日本史の偉人を語る

日本における教養はかつて漢籍だった

歴史上の人物について語る人に問われるのは、それが単なる蘊蓄に類するものか、それともしっかりした教養に基づいたものかということです。この場合の教養とは、体系的なひとつの思索の一端としての教養です。あのときはああ言い、このときはこう言うでは説得力がない。ばらばらの豆知識ではなく、自分の考えを整合的にまとめる必要がある。

毎日新聞社/AFLO=写真

渋沢栄一が、新札の図案に採用されて話題になりました。彼の彼たる所以は、財閥をつくらなかったところにある。持ち株の大半を公開し、一族で私(わたくし)しなかった。何百という企業の設立に関わって日本の資本主義の礎を築き、優に4大財閥と肩を並べる財閥をつくれたのに、彼はそれをしなかった。そして大金を教育や医療などの社会貢献活動に投じた。

なぜそんなことができたのか。彼の著作『論語と算盤』を読めば明らかなように、子供の頃から論語をはじめ中国の古典籍に親しみ、まさに本物の教養を身に付けていたからこそです。ビジネスと道徳は両立できると彼は言った。そういう思想的土壌に、彼は日本の近代資本主義の基礎を構築した。「資本主義の父」と呼ばれるのも当然のことでしょう。

彼に限らず、第二次世界大戦前までの日本の知識人には漢籍、中国古典の素養がありました。皆さんお好きな幕末の志士や戦国武将はもちろん、明治の文豪も、平安や万葉の名だたる歌人たちでさえそうだった。

人は言語でものを考えます。哲学も思想も言語を理解していなければわからない。だからたとえば中国では、いわば国家事業としてサンスクリット語で書かれた仏典を漢字に翻訳したわけです。その膨大な作業の中から、この哲学の神髄は何かという思索が生まれる。日本の場合は、中国から漢文のお経を輸入し日本語訳しないで今に至っている。仏典を理解しようとする人たちは、中国語で考えられたからです。そういう歴史的基礎のうえに日本人の思想も文化も成立したわけです。少なくとも日本の教養ある人にとって、それは常識というのもおかしいくらいの共通認識だった。その認識が消失しようとしているのが現代日本です。

古典とは歳月の淘汰を生き残った知恵です。人間とは何か、社会とは何かという思索を延々と続けてきた人間の叡知の結晶です。厳しいことを言えば、古典に学ばなければ歴史上の人物について正しく理解することも語ることもできないでしょう。

と言っても、歴史研究者ではない一般の人にそこまで求めるのは酷というもの。以上のことを飲み込んだうえで、まずは信頼できる現代の書物を選び、読み込んで、自分なりの歴史観・人間観を持つことだと思います。

品格を上げるポイント:彼の彼たる所以を説明できるか

本郷和人
東京大学史料編纂所教授
1960年、東京都生まれ。東京大学文学部卒業。博士(文学)。2012年から現職。専門は日本中世史。『東大教授がおしえる やばい日本史』(監修)など著書多数。
(構成=石川拓治 撮影=遠藤素子 写真=毎日新聞社/AFLO)
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