なぜ無駄遣いをやめられないのか。『資本主義と、生きていく。』(大和書房)を書いた品川皓亮さんは「商品が欲しいのではなく、その商品がもつ意味やイメージといった記号を目当てに消費しているからだ」という――。(第2回)
たくさんのショッピングバッグを手にする女性
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「買いたい」はどこから来るのか

「消費」という言葉は普通、お金を払って手に入れた物やサービスを使うことをいいます。それは私たちの自発的な行動のはずです。

しかし100年以上も前に、この消費という活動が、実は何者かにコントロールされたものであるという告発がなされました。私たちが何かを買おうと思うのは、実は社会の側に作られた欲望のせいなのではないかという指摘です。

金ぴか時代を謳歌する19世紀末のアメリカにおいて、既にこういった消費の危険性に警鐘を鳴らす学者が登場し、その後も多くの思想家がこれに続きました。この稿では、そういった「警告的思想」の系譜を確認しながら消費という追手の正体を見極めていきましょう。

はじめに紹介するのは、経済学者ソースティン・ヴェブレン(1857年-1929年)です。1899年、彼は『有閑階級の理論』という著作で、アメリカ社会に強烈な一撃を加えました。金ぴか時代のアメリカ。産業革命によって莫大な富が生まれ、人々は浮かれていました。しかしヴェブレンは、この繁栄の裏側に潜む真実を見抜いていたのです。

身の丈に合わないモノを買ってしまうワケ

ヴェブレンが提示したのは、「見せびらかしの消費」(顕示的消費)という概念です。彼は、人々は高価な財やサービスを消費すること自体を、他者への誇示として用いていることを指摘します。

3つ星レストランでの食事、おしゃれなスイーツ、ブランド物のバッグや衣服――こういったものは本当に必要なものではないにもかかわらず、実用以上の支出によってその人の財力やステータスを誇示するものとして利用されているということです。

彼によれば、役に立たない財の非生産的な消費はその人の経済的強さの印であり、ひいては人間としての価値の証明であるといいます。

この見せびらかしの消費は富裕層だけの問題ではありません。ヴェブレンは、各階層の消費基準は自分たちより一つ上の階層の習慣を参考にして決まると述べています。人々は自分と同程度か少し上の社会集団の生活様式を見て、それに遅れまいと努めてせっせと見せびらかしの消費に汗をかくのです。

ヴェブレンの主張を踏まえて現代に目をむけると、彼の指摘した傾向は現代のSNS時代にぴったり当てはまることに気づきます。多くの人々は「私もああなりたい」と思わせるような生活を提案するインフルエンサーに影響を受け、彼らがおすすめする商品を購入したりしています。

ヴェブレンが指摘したように、人々はそういった「少しがんばれば手が届きそうな存在」のライフスタイルを必死に真似ようとするのです。このような、自分の社会的地位を確認しつつ、人に見せつけるために消費をやめることができないという人間の悲しい習性――これが「見せびらかしの消費」という病の特徴的な症状です。