私たちが買うのは商品ではなく記号
アドルノらの「文化産業論」もマルクーゼの「偽の欲求」も、やや極端な意見ではあるので、彼らのいうことをすべて鵜呑みにする必要はないでしょう。ただ、何かを買う時に「これ、買わされてないかな?」と自分に問うてみる瞬間があってもいいかもしれません。
一呼吸置き、もう一度自分の心に問いかけてみて「それでも欲しい」のであれば、立派なあなた自身の欲求です。些細なことですが、こういったことこそ追手の存在に自覚的になるということなのです。
ヴェブレン、アドルノ、ホルクハイマー、マルクーゼ……という一連の流れを受けて、ついに現代社会の消費のあり方に対し、最強の鉄槌を下す思想家が現れます。
1970年、フランスの思想家ジャン・ボードリヤール(1929年-2007年)が『消費社会の神話と構造』を発表しました。この著作こそ、現代の消費の本質を最も鋭く抉り出した作品といえます。
ボードリヤールは、ショッピングセンターやドラッグストアに象徴される大量の商品群の豊富さが、現代社会の神話であると指摘します。この豊かさは一種の奇跡として讃えられ、人々は消費社会の恩恵を日々享受しています。
しかし彼によれば、私たちが買っているのは商品そのものではありません。「記号」を買っているというのです。「記号」とは一体何のことでしょうか? それは、その商品がもつ「意味」や「イメージ」のことです。
なぜ不要なものを買ってしまうのか
たとえばアイドルの「推し活」は、様々な角度から考察ができる現象です。「記号」という観点から考えると、推し活をする人はアイドルのグッズやCDだけが欲しいのではなく、「その人を応援している自分」というイメージを買っているのかもしれません。
店頭に溢れる商品の多くも、モノとしての機能よりも、そうした記号的な意味で私たちを魅了しています。
ボードリヤールは、資本主義が浸透した現代においては「必要なものを必要なだけ買う」という素朴な消費者像では説明できない現象が起きているといいます。人々は生活のニーズを満たす以上にデザインやブランドにこだわり、新型モデルが出ればまだ使える旧型を捨てて買い換えます。
ボードリヤールは商品の価値を「差異化の記号」に求めます。現代社会では、モノの価値はその物自体が何の役に立つかではなく、他人との違いを生み出す役割を果たすことにこそあるのです。
だから、人々は商品の選択を通じて「私は他の人とは違う」ことをアピールし、自己のアイデンティティを表わしているといえます。高級車を買う人は「成功者」という記号を、エコカーを選ぶ人は「環境意識が高い」という記号を体現しているのです。

