自らの「家」について語ることは、「人生」そのものを語ることだ。ノンフィクション作家の稲泉連さんは新著『こんな家に住んできた』(文藝春秋)で、17人の著名人に「あなたはどんな家に住んできましたか」と聞いた。今回はその中から、作編曲家の鷺巣詩郎さんのインタビューをお届けしよう――。
『シン・ゴジラ』でも庵野秀明監督とコンビを組んだ
自分の生まれた家というものは、文字通り人生の原点なんですね。
というのも、いま住んでいる家の夢なんて全く見ないのに、僕は世田谷にあった生家についてはこんな夢をよく見るんです。
……食卓でご飯を食べていると、ドスン、ドスンと地震が起こる。勝手口の辺りがびりびりと揺れ、「なんだろう」と思った途端、巨大な怪獣の足がドーンと家を破壊して、上からいろんなものが落ちてくる――。
数々の日本人アーティストの曲や『新世紀エヴァンゲリオン』などのアニメ音楽を手掛けてきた鷺巣さん。近年の『シン・ゴジラ』でも庵野秀明監督とコンビを組んだ彼は、一九五七年東京都生まれの日本を代表する作編曲家である。父親は漫画家、アニメーター、特撮の大家として知られる故・うしおそうじ氏だ。
以前、ある雑誌のインタビューを受けた際、「人生の分岐点はいつですか?」と聞かれたことがありました。その問いに対して、僕は「生まれたとき」と答えたんです。
僕の生まれ育った世田谷の家には、別棟に特撮スタジオや作画スタジオが併設されていました。
いつもスタッフやお客さんが出入りしていて、そこここに徹夜組の作画スタッフや編集者、様々な人たちが必ず泊っていたものです。
まさしく“人間CG”といった感じだった
物心ついた頃から僕のいちばんの遊び場だったのも、その中心になって働く父親の膝の上でしてね。スタジオの二階の部屋で絵を描く父親を真似て、自分も絵をどんどん描くようになったんです。
間近で見ていて子供心にスゴいと感じたのは、「マット画」という写実的な背景画です。アニメの背景や特撮に使われる大都会のビル群やネオンの照明を、写真と見間違えるほどの精密さで父は描くんですよ。
『マグマ大使』で宇宙の帝王ゴアの乗っている円盤が、地上に降りてきてビルが崩れる直前の風景。新幹線が走っている山の風景……。何しろ台本を読んだだけで、写真のような絵を描いてしまう。映画の看板の字の精密さも大変なもので、まさしく“人間CG”といった感じでしたから。