1カ月の連載でその人のセンスを知ることができる
日本経済新聞文化面の連載読み物「私の履歴書」を習慣的に読んでいる人は多い。僕もその一人だ。大きな事を成した人々が自らの仕事と人生を振り返る。一人で1カ月連載が続くのがいい。その波乱万丈の人生をゆっくりじっくりと追体験できる。
経営者が登場することも少なくない。学者という仕事柄、経営者の自伝が勉強になるということもあるのだが、僕が「私の履歴書」を読む動機は、それ以上に功成り名を遂げた人々の「センス」を知ることにある。
その人のセンスはスキルを超えたところにある。あれができる、これができる、といっているうちはまだまだ。本当のプロとは言えない。余人をもって代えがたい。ここまでいってはじめてプロといえる。そうした人々は例外なくその人に固有のセンスを持っている。長きにわたる仕事生活の積み重ねの中で練り上げられてきた「スタイル」といってもよい。
スキルが「どれだけできるのか」という程度問題であるのに対して、センスやスタイルは「あるか、ないか」。ある人にはあるけれどない人にはない、としか言いようがないものだ。しかも、センスは千差万別。特定分野のスキルを持っている人は、みな同じように「できる」が、センスの中身は人によって大きく異なる。スタイルとはその人をその人たらしめているものの正体であり、これこそがプロの仕事の絶対にして最後の拠り所となる。
アーティストのほうが経営者よりもむしろ面白い
こうした僕の興味関心からして、広義のアーティスト(芸術家、作家、俳優、学者など)の「私の履歴書」のほうが経営者よりもむしろ面白い。何らかの「芸」でその道を切り拓いてきた人々なだけに、センスにもコクがある。
例えば横尾忠則氏。ご本人の紆余曲折ももちろん読ませるのだが、それ以上に横尾氏が出会った人々の描写が抜群に面白い。スタイルのある人は他者のスタイルについても感度が高い。とりわけサルバドール・ダリとその夫人のガラとの邂逅のエピソードには痺れた。
この一心同体にして特異なカップル(ダリには存命中に「私の履歴書」に登場してほしかった)は「センスとは何か」を考えるうえでまたとない素材を提供してくれる。僕もこれまでダリについていろいろな本を読んでみたが、横尾氏による短い回想ほどダリ&ガラの本質を浮き彫りにした文章を他に知らない。連載されたのはずいぶん昔(1995年)だが、今でも細部まで覚えている。