石原氏の社長在任中に株価は2.5倍に
昨今の論調では、優れた経営者とかリーダーというと、「創造的破壊」とか「革新」とか「挑戦」とか「破天荒」とか「大胆にリスクを取って……」とか、その手のギラギラした言葉がついて回る。確かにイーロン・マスク氏の書く「私の履歴書」は波乱万丈、修羅場の連続、ジェットコースターのような展開で面白いに違いない。しかし、そればかりが経営者ではない。
要するに、「種目が違う」のである。面白く読ませるような波瀾万丈の人生、マスク氏に代表される特異な個性全開の起業家タイプの人だったとしたらどうか。規制ガチガチ、ルール堅牢な損害保険の業界で、伝統ある大会社をうまく経営できるわけがない。石原氏のように、淡々と誠実、真摯かつ真面目、周囲に配慮をしつつ、調和を重んじながらひとつひとつの仕事にきちんと向き合える人だからこそ、社長を託され、大任を果たせたのである。
経営は詰まるところ実績だ。ひとつの指標に過ぎないが、石原氏が社長を務めていた期間に、東京海上ホールディングス(旧ミレアホールディングス)の株価はおよそ2.5倍に伸びている。毎朝コーヒーを飲みながら「私の履歴書」を読んでいる外野席の僕にとって面白かろうが面白くなかろうが、そんなことはどうでもいい話だ。
つまらなさの背後に、一貫して流れる美学を感じる
連載が始まったころ、そのつまらなさに驚いて、これはメモしておかなければと、ツイッターに「桁外れにつまらない」と書いた。すると、東京海上の社員や石原氏を知る方々から、「実際はとても面白い人」「肝の据わった、豪快な人」「人情味のある無私の人」というコメントが即座に寄せられた。もちろん僕は石原氏と面識がないが(あったらこんな失礼な文章は書けない)、実際にそういう人なのだと推測する。
これまた推測だが、実際にヤマ場や修羅場を踏んできたとしても、石原氏のような人物はそういうことをこれみよがしに自伝に書かないのだろう。あくまでも淡々とした筆致であっさりと流す。そう考えて読むと、石原氏の文章は実に味わい深い。つまらなさの背後に、一貫して流れる美学を感じる。行間から強烈な矜持が伝わってくる。確固としたスタイルがある。
繰り返すが、この文章を書いている時点では、石原氏の「私の履歴書」は連載の途中。まだ社長になったばかりで、東京海上日動火災という会社も発足していない。もしかしたら、ここから急転直下、ハラハラドキドキ、波乱万丈、ヤマ場の連続という展開になる可能性もないではない。しかし、おそらくそうはならないだろう。僕はもはや石原氏に全幅の信頼を置いている。
一橋ビジネススクール 教授
1964年東京都生まれ。92年一橋大学大学院商学研究科博士課程修了。一橋大学商学部助教授・同イノベーション研究センター助教授などを経て、2010年より現職。専攻は競争戦略とイノベーション。著書に、『ストーリーとしての競争戦略』『「好き嫌い」と経営』『「好き嫌い」と才能』(東洋経済新報社)、『好きなようにしてください』(ダイヤモンド社)、『経営センスの論理』(新潮新書)、『戦略読書日記』(プレジデント社)などがある。