NHK朝の連続テレビ小説「ばけばけ」のモデルの小泉八雲は、晩年に東京帝国大学文科大学で英文学を講じた。彼の跡にその授業を受け継いだのが、夏目漱石だった。東京大学名誉教授の平川祐弘さんは「なにかと先輩の後塵を拝さねばならぬ漱石の居心地の悪さがあった」という――。
※本稿は、平川祐弘『小泉八雲』(河出文庫)の「第二章 子供を捨てた父」の一部を再編集したものです。
※平川祐弘の(祐)は正しくは「示」に「右」の旧字体。
ハーンと夏目漱石の意外な関係
いまはもう100年を越す日本の英語英文学の歴史の中で、大学教授であるとともに作家としても名を残した人物といえば、一人が外国生れのラフカディオ・ハーンで、いま一人が夏目漱石であることに異論はあるまい。
パトリック・ラフカディオ・ハーン(小泉 八雲)(写真=Frederick Gutekunst/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons)
1850年に生れたハーンは、1867年(慶応3年)に生れた夏目金之助より17歳年上で、漱石のことは顔を見たこともなかったし、その作品についてももちろんなにも知らなかった。ハーンは漱石が『吾輩は猫である』を世に出す前の年、明治37年9月26日に54歳で急逝してしまったからである。
それでもハーンは明治36年3月、自分が半ば強いられるように帝国大学文科大学の英文科の講壇を去った時、4月から自分の後任講師として教壇に立つはずの男が今度は日本人で、イギリスに2年あまり留学しこの1月に帰国したナツメという文学士だ、ぐらいの噂は、大久保の自宅まで留任の運動に来た学生たちから聞かされもしたかと思う。
しかし外人教授待遇の契約が切れた東京大学にもう未練のなかったハーンは、自分の教え子でもない人のことはほとんど念頭になかった。それに対して36歳の新任講師夏目金之助ほどハーンの存在を意識させられた男はほかにはなかった。

