大学教育の強化を求めるのに就活ルールを撤廃する矛盾
この秋、経団連が発表した就活ルール廃止のニュースは世間を賑わせた。すでに形骸化が指摘されているルールではあるが、それでも大きな出来事である。政府や大学の関係者からは、「就活の早期化により、学業がおろそかになる」との批判の声があがった。
私自身、大学に身を置く立場にある。学生たちには多くの時間を学業に費やしてほしいと願っているが、ここで一歩引いて考えてみると、「産業界は大学にいったい何を求めているのだろう」という素朴な疑問が湧いてくる。というのは、最近の産業界は、かなりの頻度で大学の教育改革を求める声を発しているからだ。
つい先日(2018年12月4日)も、経団連は『今後の採用と大学教育に関する提案』をまとめ、そのなかで「文系・理系の枠を越えた基礎的リテラシー教育」や「大学教育の質保証(アクティブラーニングと成績要件・卒業要件の厳格化)」などへの期待に触れていた。予測が困難になる社会で活躍できる人材を育成するためには、大学教育の強化が大事だという判断によるものだが、だとすれば、なぜ、就活ルールの撤廃という学業の遂行が懸念されるような方針をほぼ同時期に出すのか。そこに矛盾点が見出せないわけでもない。
「何を学んだか」<「どの大学を出たか」
そもそも、「大学教育は意味がない」というのが日本の人事関係者ではなかったのか。とりわけ文系領域を中心に、「学生が大学で何を学んだか」よりも「どの大学を出たか」を重視する採用が続いていたのはそのためだろう。
果たしていまの人事は、大学教育に意味を見出しているのか、いないのか。いや、もはやこのような大きなくくりを持ち出しても、それほど意味はないのかもしれない。では、誰が、大学教育に意味を見出し、誰が見出していないのか――本稿では、こうした切り口から、事務系/文系領域における「大学と企業との関係」を改めて見直してみたいと思う。
そのために用いるのは、事務系総合職の採用面接担当者を対象に実施したアンケート調査のデータである(実施時期2015年12月、調査会社インテージのモニターから該当者を抽出、回収数1110)。さまざまな規模、産業、地域の企業関係者から回答が寄せられたが、本稿の柱に据えたいのは、「大学における専門の学習・研究が、企業人として有能な人材になることに結びつくと考えていますか」という項目への回答だ。