転職ロマン(3)

地元を代表するベンチャー企業を社員として支えたい

地方公務員といえば安定職業の代名詞のような存在だ。市民からの無理な要望や苦情に直面する部署に配属されると心労が募りそうだが、リストラや全国転勤とは無縁。ノルマもない。自治体によっては大企業並みの給料をもらえたりする。筆者が親しくしている地方公務員たちも、仕事だけでなく家庭生活や趣味を大いに楽しんでいる人が多い。

2025年の春、そのうちの一人が地元にあるベンチャー企業に転職をした。愛知県内の市役所に17年間も勤務していた村井真一さん(仮名、43歳)だ。そのベンチャー企業は自動車や道路交通のあり方を一変させる可能性を秘めた技術を誇り、ベンチャーキャピタルなどからの多額の資金を調達しているが、起業5年目の今でも黒字化は果たしていない。大学発の技術は確立されているものの実用化を図っている段階なのだ。先行している競合他社もあり、社会に広く浸透しないまま会社自体が消滅するリスクも高い。安定雇用という面では地方自治体と対極の位置にある。

「地元を代表するようなスタートアップです。世界を変えられる技術を持っています。でも、人手不足で社長は特に大変そうで、このままではにっちもさっちもいかなくなる! と思って私がバックオフィス業務を志願しました。今は役所も人材不足のところが多いので、最悪の場合は県内のどこかの市役所に出戻れるだろうと楽観的に考えています」

実家は農家。甘やかされて楽天家に育った一人っ子

気負いも不安も感じさせないのんびりした口調で話す村井さん。実家は農家で、愛知県内の公立大学を卒業してからは2年ほどフリーターをしながらバンド活動に打ち込んでいた。

「ロックバンドです。メジャーデビューを目標にしていましたが、今から考えると完全にモラトリアムでしたね。実家があるので食ってはいけるだろうと思っていました」

甘やかされて育った一人っ子だと自覚している村井さん。しかし、自由貿易協定の影響もあって実家が手掛ける農業分野は先細りに。「この先はやっていけない。家に入るなんて思うなよ。今年中に就職先を見つけなさい」と親から最後通告を受けた。25歳のときだった。

地元愛の強い村井さんは地元の市役所への就職を決意。「それなりの給料をもらえるし、一般企業に今から就職するよりは出遅れ感を取り戻せる」という打算があったと明かす。

「役所って融通がきかなくて面白いことをしないイメージがあるじゃないですか。フラフラしていた私もここなら目立てる! という安易な考えがありました。ちゃんと働いたこともないくせに不遜そのものですけどね(笑)」

水道局への配属、労働組合活動、中央省庁への出向

ドライブ好きの村井さんは市内の渋滞解消を採用面接で熱弁。面接してくれた職員と意気投合したと振り返る。しかし、無事に採用されて配属されたのは水道局。役所内でクリエイティブに活躍しながら成長することを自らに課していた村井さんは鬱屈し、そのエネルギーを労働組合活動に注いだ。

「我ながら鋭い議論をしていたと思います。それで人事課から面白がられたのか煙たがられたのかはわかりませんが、3年後には中央省庁に出向させられました。通常は2年弱ですが、私は異例の3年間。最後のほうは古株扱いだったのでやりたいことがやれて楽しかったです」

自治体に戻ってからは産業関連の部署に配属され、村井さんの公務員像を破壊してくれるような尊敬できる上司とも巡り合った。何よりも業務内容が刺激的だった。

「コワーキングスペースなど、市内に今までにないものを創る仕事でした。その過程で面白い人たちとたくさん出会うことができたんです。いま勤務している会社の社長もその一人。私より6歳下ですが、非常に優秀なのにカリスマ性もあります。当時から週1ペースで飲み交わしていました。会計は割り勘です」

60歳で「何もできないおじさん」になりたくない

産業や観光を切り口にした街づくりの業務に打ち込めた30代で村井さんは自分の「根っこができた」と感じている。人口が減り続けている地元を支えられるような産業振興をやりたい、という根っこである。

地味な人が多い役所で活躍して目立ちたい、という気持ちは消え失せていた。実際に働いてみると、市役所の中にも面白い人はいる。その人も黒子となって市民の生活や仕事を支えている姿がカッコいいと思った。

「業務自体は地味でもいいんです。志が高くて面白いことをやっている人をサポートして感謝されるのが楽しい。学生時代の文化祭実行委員のノリですね。市役所の仕事以外でもスタートアップを支援するイベントの事務局ボランティアなどをしていました」

一方で、40歳を超えてからは自らの将来について不安に思うことが増えたと明かす。管理職になると現場を持てなくなるからだ。

「役所という組織は、現場で動いてデータを作る人と、それを分析して意思決定する管理職とにハッキリ分かれています。でも、AIがさらに発達すると、データさえあれば分析や判断がしやすくなるでしょう。現場を持っているデジタルネイティブの後輩に負けることは明らかです。僕は80歳までは何らかの形で楽しく働いていたいので、今の年齢で現場を離れて60歳のときには『何もできないおじさん』になっている将来は困ります」

転職ロマン(3)イラスト
イラスト=新倉サチヨ

友だちに貢献している感覚。信頼されていることが嬉しい

2024年の年末、村井さんは友だちでもあるベンチャー企業の社長と飲んでいた。経理や広報、法務などのバックオフィス業務を引き受けられる人を募集していたのは知っていたので、「私にやらせてください」と手を挙げたのだ。

「メガバンクの社員だった経歴のある社長はバックオフィス業務も私よりはるかにできる人です。でも、営業や研究開発などやるべきことが山ほどあるので、守りの部分は私が引き受けて彼が社長業に集中できるようにしたいと思いました。友だちに貢献している感覚ですね。民間企業の経理は役所とは異なることが多いし、広報や法務は未経験。日々が勉強です。部下はほぼいません。43歳でもプレーヤーとして学び続けられるし、社員の給料などの機微な情報も含めて会社の全部を知ることができる立場です。会社から信頼されていることがとても嬉しいです」

市役所時代と比べると年収は1割減にとどまった。村井さんによれば、最近のベンチャー企業は待遇面での改善が著しいという。少数でも優秀な人材を集めて継続的に働いてもらうことが成功への鍵だからだ。

「お金の面でも損をすると決まったわけではありません。うちの会社も『ストックオプションをいずれやる』と社長が明言しています。まだやっていませんけど(笑)。下品な言い方になりますが、私のような新参者も(キャピタルゲインという)おこぼれにあずかる夢はあります」

我が身を賭けるべきは組織か人か

上場できずに廃業してしまうリスクはどう考えているのだろうか。村井さんは生活とキャリアの両面で納得できているようだ。

28歳で結婚した村井さん。共働きの奥さんとの間に子どもはなく、お互いの仕事や趣味を尊重しつつ「週末のどちらか1日は夫婦で過ごす」ことが不文律となっている。村井さんの実家を2世帯住宅に改装した際のローンは残っているが、親が自分の土地で農業をしている田舎暮らしにお金はさほどかからない。奥さんは「自分たちが生活していければ大丈夫だよ」と転職にも賛同してくれたという。

キャリアの面ではどうか。長期的に働くという意味での安定のために「ベット(賭ける)」するべきは組織か人か、という問いを村井さんは立てる。

「ネット社会になって、情報も仕事も流動性が高まっています。役所は比較の対象外ですが、安定しているとされる大企業も今後20年続くのかは誰にもわかりません。私の見立てでは、情報も仕事も有名な組織ではなく信頼できる人に集まるようになるはずです。うちの社長は信頼できる人なので、その下で働けることは私の安定にもつながっています」

若い頃、音楽で身を立てる夢を抱いていた村井さん。就職先の市役所での17年間で「産業振興で地元を支えたい。面白い人を応援して感謝されたい」という気持ちが固まった。そして、今。生活の基盤は確保しつつ、音楽と同じぐらい好きな自動車の分野で地元と世界に貢献する道を歩もうとしている。自らもプレーヤーとして長く働き、さまざまな仕事人と対等かつ自由に協力して交流を深めることが村井さんの新しい夢なのだ。

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