学生時代に学ばなかった人は大学教育を評価できない

第2のポイントは、採用担当者自身に関わる経験も大学教育への評価を大きく左右することだ。調査では、質問項目「あなたは大学(院)時代、専門の学習・研究にどれほど意欲的に取り組みましたか」を立て、ここでも4段階尺度で回答してもらっている。

その回答と「大学における専門の学習・研究が、企業人として有能な人材になることに結びつくと考えていますか」への回答との関連をみると、図表にあるように、大学時代に意欲的に学習していた人は専門の教育・学習に意味を見出すが、意欲的に学習していなかった人はそのように捉えていないという傾向があることがわかる。

「歴史や文学などに詳しくなっても、現場には関係ない」。「法学や経済学の知識なら使える場合もあるが、よほどのマッチングが成立したときに限られる」。しばしば人事関係者たちから寄せられる声である。それはそうなのだろうが、大学での学びで得られるのは何も専門知識だけではない。

文系領域だったとしても、1つのテーマを追究することは、問いの立て方やデータの収集方法、具体的な分析手法などについても学ぶことを意味する。広く見れば、そのスキルは、企業で必要とされるスキルとそれほどかけ離れたものではないはずだ。ただ、なるほど、両者の関係に気づくためには、それなりの学習経験も必要になってくる。学習の意義は、学習した人にしかわからない――考えてみれば、至極まっとうな話でもある。なお、大学卒業生を対象に実施した質問紙調査を分析する限り、大学での学びは所得の向上をもたらす。詳しくは連載第1回を参照してもらいたいが、この点をここで補足しておきたい。

人は自分の経験や環境から自由にはなれない

そしてこのような筋道がみえたとき、いまひとつ、現在の大学教育をめぐる見解を決めているだろう50代といった世代が、どのような学生生活を送っていたのかという問いを提示せずにはいられない。その世代が学生だったのは、およそ1980年代。世はバブル経済に浮かれ、大学はレジャーランドと呼ばれていた時代である。

急いで断っておきたいが、すべての50代が学びに意欲的ではなかったと主張したいわけではない。ただ、数年前に参加したシンポジウムで、有識者として名の知れている50代半ばのある登壇者が、「大学生なんて、どうせテニスサークルばっかりやっているんだから」と発言し、一部会場参加者から大きな笑いが起きたことには少々驚いた。

いまの大学生たちは、レジャーランド時代の大学生とは明らかに違う。学習時間の少なさなど指摘されることもあるが、少なくともテニスサークルばかりやっている学生などはかなりの少数派だ。むしろ、就活で不利にならないよう、付加価値をつけることに精いっぱいな学生たちの姿のほうが目立っている。

結局のところ、人は自分の経験や環境から自由にはなれない――連載「『ニッポンの学歴言説』を問う」の第1回目第2回目では、データから教育や学歴の効果の実態そのものについて検討を加えた。しかし、データを用いてできることはそれだけではない。データは私たちの認識の内実についても重要な示唆を投げかけてくれる。今回はこのことを最後に強調しておきたい。

濱中 淳子(はまなか・じゅんこ)
東京大学 高大接続研究開発センター 教授
1974年生まれ。2003年東京大学大学院教育学研究科博士課程単位取得退学。07年博士(教育学)取得。17年より現職。専攻は教育社会学。著書に『「超」進学校 開成・灘の卒業生』(ちくま新書)、『検証・学歴の効用』(勁草書房)などがある。