研究者時代の自分に救われる
ワシントン大学での教員の仕事と起業家として事業の立ち上げを両立するのは文字通り決してやさしいものではありませんでした。しばらくは資金集めに奔走し、随分と苦労したものです。何十社と断られ続けた中、オリンパスなどが可能性に着目して出資してくれることになったので、ワシントン大学をすっぱりと辞めることができました。
オリンパスがシードマネーを出してくれたのは、彼らへのプレゼンテーションの中で、私が日本で研究をしていた時代に使っていたオリンパスの顕微鏡について研究者としての感想を伝えたことがきっかけでした。「自分たちの会社の製品を自分たちよりもよくわかって使ってくれているお客様だ。その人に夢があるのならサポートしないわけにはいかない」と、快く出資をしてくださいました。
オリンパスは光学的な画像解析による新しいスクリーニング装置の開発に興味があったそうです。彼らの顕微鏡技術の応用で精密な画像解析を行い、その解析結果を診断して薬効を判定するというソフトウェアの実現です。こうしてオリンパスとソフトウェアを共同開発することになり、これが我々のビジネスの初期におけるベースとなりました。
当時勃興していた創薬スクリーニング技術に、ハイコンテンツ・スクリーニングというものがあります。これは培養した神経細胞などを観察して、さまざまな情報をもとに薬剤の効果判定をするというもの。どの製薬会社でもノウハウあるいは武器のひとつとして、独自の化合物ライブラリーを持っています。オリンパスと共同開発するシステムを使って、顧客である製薬企業が保有する化合物ライブラリーを調べ、その化合物が網膜細胞に有益な効果を持っているかいないかなどの解析結果データをお返ししていました。
顧客は日本やアメリカの製薬会社が中心でしたが、結局そういう化合物から眼科の医薬品の候補を発見することは容易ではありませんでした。その当時、そんなに多くの会社が眼科領域の研究をしていたわけでもなければ、眼科領域の医薬品を開発したいというニーズが世界中にあったわけでもなかったからです。おもしろい研究システムではあったものの、ある程度まで行き渡るとそれ以上のビジネス成長を望めないことが明らかになったのです。起業から3年で、ビジネスモデルに大きな行き詰まりを感じることとなりました。