笑う側に立つか、造る側に立つか
日本には、強みがある。作業の勘所、品質の見極め、異常への対処、安全の知識。そして、ロボットの関節を動かす精密な減速機や、周囲を捉えるセンサーといった部品の技術である。大切なのは、こうした強みを、人が持つ技能として誇るだけでなく、機械の改善にも使える形にしていくことだ。現場を、機械が学び続ける場所にするのである。
日本の現場には、熟練者が新人に仕事を教えてきた長い歴史がある。どこでつまずくか、どう手を添えれば覚えるか。その教える技術こそ、ロボットに仕事を覚えさせる時代に生きる。
経営者に考えてほしい問いは、3つある。どの仕事なら、安全を確保したうえで試せるか。失敗や、人が手を貸した場面を記録し、次の改善に返せるか。成功率、作業時間、人の介入の回数、総費用は、時間とともに改善しているか。試せば自動的に賢くなるわけではない。経験を記録し、学習させ、改良した機械を再び現場で確かめる。その循環を回す仕組みが必要になる。
成長期の打ち手と、転換点の打ち手
本書の序章では、「成長期の打ち手と転換点の打ち手は、全く違う」と書いた。既存の産業ロボットの性能を磨き続ける仕事と、新しい方式を自分たちの現場で育てる仕事。日本企業に求められているのは、その両方を、経営として同時に持つことである。
神々は、足を引きずる鍛冶の神を笑った。だが、その神は神々の館を造った名工であり、その工房では、自ら歩む黄金の侍女が働いていた。
転んだロボットの映像は、いまの限界を教えてくれる。しかし、その限界がいつ、どのように変わるかまでは教えてくれない。笑う前に、刮目して見る。そして、自分たちの現場で、何を試し、何を学んだかを問いたい。プロメテウスが人間に渡した物理の火を、次に使いこなすのは、笑う側ではなく、造る側である。
検索時にプレジデントオンラインに関連する記事が表示されます

