自分の会社のAIなのに、自社社員が使えない
2026年6月12日、AI開発企業アンソロピックに、米政府から一つの指示が届いた。同社の最上位モデル「Fable 5」と「Mythos 5」について、外国籍の人による利用を止めよ、というものである。国家安全保障を理由とする、輸出管理の指示だった。
驚くのは、その対象である。指示は、アンソロピックで働く外国籍の社員にも及んだ。自分たちが開発したAIを、開発した本人たちの一部が使えなくなったのである。
同社の公表文によれば、政府が理由に挙げたのは、モデルの安全対策をすり抜ける手法が見つかったことだった。プログラムの欠陥を分析させるという、一見まっとうな依頼を通じて、安全対策を回避できてしまうという。
だが、ここで実務上の大きな壁にぶつかる。画面の向こうの利用者が、どの国の国籍を持っているかを、その場で確かめる方法はない。外国籍の人だけを正確に締め出すことができない以上、同社が選べる道は一つしかなかった。全利用者への提供を、いったん止めることである。
同社は指示に従ったうえで、はっきりと異議も唱えた。限られた条件でしか働かない回避手法が見つかったことは、何億人もが使う商用モデルを回収する理由にはならない。そう主張したのである。
6月26日、政府の承認を得て、一部の米国の組織に対するMythos 5の提供が回復した。6月30日に規制の解除が発表され、7月1日からFable 5の提供も再開された。最強のAIが表舞台から消えていた期間は、19日間に及んだ。
この19日間が教えてくれたことは大きい。最先端のAIは、もはや電気や水道のように、いつでも誰でも使えるものではない。誰が使えるかを、国家や開発企業が選ぶ時代が始まったのである。
「先に考える者」と「後で考える者」
この時代を読み解く鍵が、ギリシャ神話のある兄弟の物語にある。
人間に火を渡した神、プロメテウスの名は「先に考える者」を意味する。彼には弟がいた。名をエピメテウスという。こちらは「後で考える者」である。名前のとおり、この兄弟は正反対の性格をしていた。紀元前700年ごろの詩人ヘシオドスは、『仕事と日』のなかで、この兄弟とゼウスの駆け引きを語っている。
プロメテウスに火を盗まれた神々の王ゼウスは、怒りに燃え、人間への「お返し」を用意した。鍛冶の神ヘーパイストスに命じて、土と水から美しい女性の姿をつくらせる。女神アテナが機織りの技と装いを授け、愛の女神アフロディテが魅力を与え、伝令の神ヘルメスが、人をあざむく心を吹き込んだ。神々がこぞって贈り物を与えたことから、彼女はパンドラ、すなわち「すべての贈り物を与えられた者」と名づけられた。


