年金は「待てば増える」と言われるが、在職老齢年金、加給年金、遡及受給という3つの盲点を知らないと、繰り下げても増額をまるごと取りこぼすことになる。

「年金は待てば増える」が独り歩きしている理由

私はいま、64歳です。先日、年金請求書が届きました。65歳の誕生日の3カ月ほど前に届く、緑色の封筒です。「おお、来たな」と少し感慨がありましたが、まだ開けていません。記入して提出してしまえば、年金の受け取りが始まってしまいますから。

北村庄吾さん
北村庄吾 Shogo Kitamura
年金博士、社会保険労務士、行政書士、ファイナンシャルプランナー。1961年、熊本県生まれ。中央大学法学部卒業。CHROブレイン社会保険労務士法人終身名誉監督、総合事務所ブレイン 代表取締役。著書に『やさしくわかる給与計算と社会保険事務のしごと』(日本実業出版社)などがある。

65歳から受け取るか、繰り上げる(65歳より早くもらう)か、繰り下げる(65歳より遅くもらう)か。一生に一度の大きな判断なので、迷う方も多いでしょう。世間の人はどう考えているのでしょうか。繰り返し耳にすることが2つあります。

1つ目は「年金は繰り上げて受け取り、運用に回したほうが得だ」という話です。繰上げの減額率よりも、投資の運用益のほうが大きいから、という理屈です。ここ2〜3年で急に増え、動画サイトでもずいぶん流行りました。ただ、投資でうまくいく人は、私が見てきた限りわずかです。

そもそもこの方法は、65歳を過ぎてから受け取り、それを自分で運用に回しても理屈のうえでは同じことができます。運用がうまくいくかどうかの話であって、いつ受け取るべきかの決め手にはなりません。

2つ目は「退職金と年金でなんとかなる」という感覚です。退職金に恵まれた55歳以上の世代に根強く残っています。しかし、会社が面倒を見てくれなくなる65歳の手前で急に不安になり、老後の資金が足りなさそうだと気づく。リスクを抑えた資産運用で増やすにしても、もう手遅れです。リタイアメントプランができている方は、ほとんどいません。そして、これは老後資金への感覚であって、いつ年金を受け取るべきかの判断材料にはなっていません。

では、何を参考に決めればいいのか。まず、繰り下げると何がどう増えるのかを押さえましょう。繰下げのメリットは、受け取りを1カ月遅らせるごとに0.7%増額されることです。受け取り開始は66歳以降と決まっているので、繰り下げるなら最低1年。0.7%×12カ月で8.4%。この増額が一生続きます。75歳まで待てば84%。たしかに魅力的な数字です。

ただ、その増額を取りにいく人が、実際にどれだけいるか。厚生労働省のデータでは、繰下げの選択率は老齢厚生年金で1.9%、老齢基礎年金だけを受け取る層で2.4%です(令和6年度)。対して繰上げは、老齢基礎年金だけを受け取る層で23.2%。10倍近い違いです。

なぜ繰下げを選ぶ人がこれほど少ないのか。現場で見ていると、繰下げを検討するのは生活に困っていない人に限られます。多いのは、65歳で生命保険の満期が来る方です。1000万〜2000万円が入り、いますぐ年金をもらう必要がないのです。ただ、それだけ余裕のある人はあまりいません。

待てば増えるのに、選ぶ人は少ない。選ぶ人が少なければ、実践的な情報も出回りません。増える話の先に除外条件があったとしても、ほとんど語られない。「待てば増える」だけがよく知られているのは、そのためです。

繰下げが実際にどのくらい得なのか、損益分岐点で見ましょう。65歳で受け取り始めた場合と、70歳から受け取る場合を比べます。すると、約82歳より長生きすれば、65歳で受け取るより総額が増えます。繰り下げる年数が短ければ、分かれ目も早く来ます。66歳なら約78歳です。つまり、何歳からでも、受け取り始めてから約12年後が分かれ目です。

(構成=村松まりこ イラストレーション=前田はんきち)