※本稿は、松永正訓『大学病院の正体 手術、人事、教育、研究のすべて』(中公新書ラクレ)の一部を再編集したものです。
解剖実習室は小さな体育館くらいの広さ
医学教育の中で、学生にとって最大のイベントは何と言っても解剖実習である。初めて解剖実習室に足を踏み入れるときの緊張感は、今でも忘れられない。なにしろ、ご遺体である。そしてそのご遺体にメスを入れるのである。緊張するなという方が無理である。
亡くなった渡辺淳一さんの自伝的小説『白夜』にも、医学生の主人公(渡辺さんのことであろう)が、解剖実習を前に、めちゃ、緊張する場面が描かれている。あれは本当にリアル。ぼくも先輩方から脅されたり、逆にすぐ慣れるよと言われてみたり、いろいろな情報に身を固くした。
解剖実習室は小さな体育館くらいの広さがあった。そこにびっしりと解剖台が並んでいて、白い布に覆われたご遺体が並んでいる。はっと息を飲むような光景だった。
読者の皆さんは、医学部の解剖実習といえば、メスでお腹を開き、内臓を観察して終了……くらいに思っているのではないだろうか。そんな簡単なものじゃない。人間の体の中には数えきれないくらいの動脈・静脈・神経・筋肉・腱があり、それらをおよそ1年かけてすべて露わにしていくのが解剖実習だ。
学生は人間の尊厳に触れる
人体の内部には脂肪が豊富にあり、そういった血管や神経は、脂肪に埋もれていて見つけることがむずかしい。余分な脂肪組織などを削ぎ落としていって、目標に到達するのは決してかんたんではない。この地道な作業が連日のように、長期に続くのだ。
『白夜』を読むと、こんな記載がある。要約の形で抜き出してみる。
「……すべて違う人間が表皮一枚剥けばみな同じである。解剖学の教科書通りになっている。個性などはまったく認められない……」
このことに主人公は「これは非道いとは思わないか」と友人に語りかけるのだが、ぼくはそんな印象はまったく持たなかった。解剖には変異があり、血管も神経も教科書とは違って途中で枝分かれしたりしている。ここにこの神経があるはずと探してもなかなか見つからなかったり、人って教科書通りではなかったりというのがぼくの感じたことだ。
解剖はとにかく厳粛な気持ちで行う。だれも無駄口を叩かないし、もちろん冗談を言う奴もいない。ご遺体を前にして、学生は人間の尊厳に触れる。
だから、2024年にある美容外科の医師が、アメリカ・グアムの大学で解剖研修を行い、ご遺体を背景にピース写真をSNSに上げたときは驚いた。許せないという気持ちがふつふつと湧いてきた。あってはならないことだし、人間の尊厳をどう思っているのかと腹が立った。

