人体は原形を留めないほど細分化される
解剖実習が終わりに近づく頃には、人体は細かいパーツに細分化されて、人としての原形を留めない。解剖はそこまで徹底して行う。そうやって医学生は医師への道を歩き出す。
千葉大医学部の組織学(細胞レベルの解剖学)の教授は、自分が亡くなったあとの献体(解剖実習に身を差し出す)の登録をしていた。解剖のリアルを十分に承知した上で、献体を決断できるのは立派なことだと思った。なかなかできることではない。
さて、こうして人の肉体にとことん接してみると、人って物質なんだとぼくは結論めいた感情を抱いた。人間は肉体と霊魂からできている? いや、霊魂も心も最後はなくなり、人の一生の最後には物質が残るのだと痛感した。個人的な話になるが、ぼくは精神科医になることを目指して医学部を受験したという動機があったのだけど、解剖実習を経験して精神科医への道はほとんど放棄した。もっと人体を知りたいと思ったのだ。
前半は基礎医学、後半は臨床医学
医学教育の前半は基礎医学で、後半は臨床医学である。特に前半の前半は、基礎医学のさらに基礎の部分を習う。それが解剖学であり、組織学であり、骨筋学であり、神経解剖学(脳のこと)である。つまり人間の正常な状態を学ぶ。正常が分からないと異常も分からない。病理学というのは基礎の応用編で、顕微鏡で炎症像やがん細胞を観察する。この際、正常を理解しておく必要があるわけだ。
ぼくの先輩は、病理学の実習に出て顕微鏡を覗いた。一面、細胞が並んでいた。先輩はどこの部分ががん細胞か分からず友人に質問した。
「ちょっと分かんないんだけど、どれががん細胞?」
「ん? 全部」
したがって医学教育は初期の頃の方が大事で、後になるほど重要性が下がる。学生も当初の頃は全出席するが、しだいに(出欠を取らない授業だと)出なくなり始める。この状況は最近になって改善傾向にあるが、それは医学生がまじめになったというよりも、出欠を取る授業が増えたから。

