朝ドラ「ブラッサム」(NHK)では女学生の珠(石橋静河)が唐突に結婚することに。珠のモデルである宇野千代(1897~1996年)の評伝を書いた青山誠さんは「千代も数えで14歳の時、従兄いとこと最初の結婚をした。その後、もうひとりの従兄、作家の尾崎士郎、北原武夫と、合計4回結婚する」という――。

※本稿は、青山誠『宇野千代 恋を糧に生きた、その幸福な人生』(角川文庫)の一部を再編集したものです。

なぜ女子進学率が5%以下だったのか

明治43年(1910)に宇野千代は岩国高等女学校に入学した。明治時代末期頃の高等女学校進学率は都市部でも5%に届かず、岩国のような地方ではさらに低い。いちばんのネックは高額な学費だった。当時の授業料は公立校で月額1〜2円(編集部註:現在の人件費の価値で約4~8万円)、私立では5円(同20万円)以上という学校もある。これにくわえて教科書や教材費にもお金がかかる。庶民層には義務教育を受けられない子供も多く、女学校の学費を捻出するのは無理だ。

金だけの問題ではない。女子が学問をすれば不幸になるとか、高学歴の女子は生意気になって嫁の貰い手がなくなるとか、儒教的教育観が根強い田舎ではそんな考えが多数派。

それゆえ富裕層にも娘を女学校に進学させない親は多い。

しかし、いい意味でも悪い意味でも、父親の俊次は世間の常識が通用しない奇行種。千代の女学校への進学も彼が望んだことだった。千代が成績優秀者として表彰されたときは、有頂天になり歓楽街を連れまわして自慢したが、放蕩に明け暮れ何も成し得なかったこの男には、優秀な娘だけが唯一の成果。人に自慢したいお宝。高等女学校卒の学歴があれば、そのお宝がさらに光り輝き価値が増すことになる。

「娘が女学校に入学してのぉ」などと、お座敷で芸者衆を相手に得意げに話す俊次の親馬鹿な姿が目に浮かぶ。

1930年代の宇野千代
1930年代の宇野千代(写真不詳/Public domain/Wikimedia Commons)

生活は苦しかったが、高等女学校へ

千代が学んでいた頃の岩国高等女学校は、現在の岩国高校記念館が建っている付近にあった。川西からは錦川の間に通された隘路あいろを歩いて学校に通う。2キロ弱とさほど遠くはないのだが、舗装されてないデコボコ道。草履で歩くのはちょっと難儀だが、憧れの女学生になれた嬉しさから足取りは溌剌はつらつとしている。女袴おんなばかまに束髪そくはつという女学生の定番スタイルで、木々に埋もれた錦川沿いの細道を闊歩した。

しかし、この頃になると俊次の懐具合が厳しくなっていた。彼に過保護だった両親も老いて、後継の兄弟が実権を掌握しょうあくするようになったのかもしれない。そうなれば中年ニートへの援助も滞るようになる。しかし、俊次はいまさら働く気はなく、また、何のスキルもない。暮らしぶりは厳しくなっていた。それでも土地や借家などの資産を切り売りしながら、なんとか千代の学費を工面していたようである。それについては父に感謝しているのだが、奇行と無茶ぶりはあいかわらず。暴君の言動に苦しめられ困惑する日々はつづく。