美術品は誰のものなのか。日本企業が約58億円で購入したゴッホの「ひまわり」をめぐり、2022年、元所有者の遺族がアメリカで絵の返還と約1000億円の損害賠償を求めて提訴した。背景にあったのは、ナチス政権下での売却をめぐる疑問だった。ジャーナリストの福田直子さんが、名画が日本に渡るまでの来歴と、遺族が返還を求めた経緯をたどる――。(第1回)

※本稿は、福田直子『略奪美術品の行方』(集英社新書)の一部を再編集したものです。

法廷の机に小槌
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58億円で日本に来たゴッホの絵画

1987年、安田火災海上保険(現、損害保険ジャパン)がヴィンセント・ヴァン・ゴッホ(1853─1890)の「ひまわり」(F457)を購入した。

「ひまわり」の価格は当時の絵画史上最高の落札額で、オークションハウスへの手数料と保険料などを加えると58億円であったと伝えられた。ロンドンのオークションハウス、クリスティーズが開催した競売日が、ゴッホの誕生日、3月30日であったことは話題づくりもあったのだろう。

絵画の最高額を更新するのは14世紀から18世紀に描かれた古典的な具象画である「アルテ・マイスター」の作品に限るというそれまでの固定観念を打ち破り、「ひまわり」の落札額によって近代・現代美術が青天井の価格で評価されるという例となった。「ひまわり」の落札をきっかけに、美術品の高額な評価額は近代・現代美術品へシフトした。

太陽の色ともいえる鮮やかな黄色に魅せられたゴッホは、フランス南部のアルルで黄色い家を借り、ゴーギャンの来訪を待ちながら、ゴーギャンを喜ばせたい一心で「ひまわり」を描いたといわれる。

7点描かれた「ひまわり」の行方

ゴッホがアルルで描いた一連の「ひまわり」は7点あった。ただし、現存するのは6点である。

1920年、兵庫県芦屋市の実業家、山本顧彌太が購入し、自宅に飾ってあった「六本のひまわり」(F459)は、1945年、第二次世界大戦末期、米軍の爆撃で焼失してしまった。ほかの6点のひまわりと異なり、唯一、背景が紺であるこの作品は「まぼろしのひまわり」となり、現在ではかろうじて徳島県鳴門市の大塚国際美術館に「陶板複製」としてよみがえっている。

そして黄色の背景に黄色のテーブル、黄色の花瓶に生けられた「一五本のひまわり」は3点ある。

安田火災海上保険が購入したこの「一五本のひまわり」(F457)は、現在、ロンドンのナショナル・ギャラリーが所有する「一五本のひまわり」(F454)のゴッホ自身によるコピーで、1888年11月から12月の間に描いたとされる。

もう一点(F458)はアムステルダムのヴァン・ゴッホ美術館の所有だ。なお、ロンドンとアムステルダムの作品はゴッホによるサインが花瓶に記されているが、日本にある作品には署名がない。ゴッホはすべての作品にサインしたわけではなかった。