日本の美術館の「顔」に返還請求

「ひまわり」が1987年秋に日本で初めて安田火災東郷青児美術館(現、SOMPO美術館)で展示されたときはわずか半月で過去一年分の訪問者数を上回ったというから、「ゴッホ効果」による集客力は日本人の印象派好きともあいまって他に類を見ない。ゴッホの「ひまわり」は同美術館が誇る「目玉」として長い間、人々をひきつけてきた。

SOMPO美術館が収蔵するゴッホの「ひまわり」(F457)
SOMPO美術館が収蔵するゴッホの「ひまわり」(F457)(写真=CC-PD-Mark/Wikimedia Commons)

当初、旧安田火災海上保険の高層ビル、42階に展示された「ひまわり」は、2020年、損害保険ジャパン本社の前に建てられた新美術館の開館とともに移転した。旧安田火災海上保険が損害保険ジャパンとなり、ゴッホの「ひまわり」はすっかりグループの「顔」となった。

わずか100.5センチ×76.5センチの「ひまわり」は、小さな美術館で分厚いガラスに守られ、今も特別な位置を占めている。すでに「バブル時代」を知らない世代が増えたものの、「アジアで唯一のひまわり」は日本人の間ですっかりなじみとなった。

ところが、2022年暮れにある事件が起きた。

SOMPOホールディングスが所有する「ひまわり」をめぐり、元所有者の遺族が返還を求め、同社をアメリカの裁判所に提訴したのだった。

約1000億円の賠償を求めた遺族

100ページ近い訴状が提出されたのはイリノイ州シカゴの裁判所。返還請求の理由は、「祖先が所有していたひまわりは、ナチスによって1934年に強制的に売却させられた」というものだった。祖先とは、ドイツの銀行家パウル・フォン・メンデルスゾーン=バルトルディー(1875─1935)。ニューヨークとベルリンを拠点とする3人の原告たちは、彼の遺族だ。

彼らは、「旧安田火災海上保険は、ひまわりの出所、“来歴”を無視して購入した」として返還、および7億5000万ドル(当時のレートで約1000億円)の損害賠償を求めた。破格の賠償請求額は、「ひまわり」所有で得られたと推定される30年以上の利益が考慮されているためであるという。

返還請求の筆頭原告に、ユリウス・ショップスという名前をみつけた。

実はずいぶん前にベルリン郊外にあるポツダムの研究室でショップスにインタビューしたことがあった。当時、エルンスト・ルートヴィヒ・キルヒナー(1880─1938)の「ベルリンの街の風景」(1913─14年作)の返還問題をめぐりドイツで激しい論争になっており、論客のショップスは活発に発言していた。

カール・シュミット=ロットルフとともに、キルヒナーは「ブリュッケ(橋という意味)」という画家グループを結成し、ヴァシリー・カンディンスキーやフランツ・マルクの「青騎士」と並んでドイツの現代美術の新潮流を率いた。だが、キルヒナーはナチスが最も忌み嫌った表現主義の芸術家として排斥され、スイスでピストル自殺を遂げている。