名門一族が祖先のコレクションを追う
メンデルスゾーン一族といえば、作曲家、フェリックス・メンデルスゾーンが有名だ。ユダヤ教からプロテスタントに改宗したメンデルスゾーン家は「ドイツ社会に同化したユダヤ人」であった。18世紀末に「メンデルスゾーン銀行」を設立し、ナチスが政権を掌握するまではドイツを代表する銀行として知られていた。パウル・フォン・メンデルスゾーン=バルトルディーはルノワール、モネ、ルソーなどをはじめとする現代美術の作品を購入し、ゴッホやピカソの作品も数点、所有していたという。
ショップスは、祖先のコレクションの存在を知って以来、一族を代表して数件の美術品返還請求を行ってきている。メンデルスゾーン家は、まずピカソの作品をめぐり、ニューヨークの近代美術館(MoMA)、グッゲンハイム美術館およびアンドリュー・ロイド・ウェバー財団を相手に返還請求訴訟を起こし、この三者とは和解した。
また、ワシントンのナショナル・ギャラリーからはピカソの作品を返還されている。ミュンヘンのバイエルン州立美術館を相手にしたピカソの「マダム・ソレール」(1903年作)の返還請求については、「ナチスの排斥による略奪美術品とはいえない」という理由から返還を拒否されており、このケースは未解決だ。
問われたのは「1934年の売却」だった
ショップスの祖先、パウルが「ひまわり」をパリの画廊から購入したのは1910年であった。1933年1月にナチスが政権を掌握してから、ユダヤ人への排斥が強まるとともにその資産を凍結し、「ドイツ帝国の財産」に転換するという「アーリア化」が進められた。その一方で、美術品略奪が組織的にはじまった。
今回の提訴で争点となったのは、「ひまわり」が「1934年に売却」された点で、それが「排斥」によるものなのかどうか、である。
メンデルスゾーン家は事業を営むことを禁止され、収入の道が絶たれる中、「ひまわり」はまだ「安全地帯」とされていたオランダ、ハーグの画廊に売却され、その後、パリの著名なポール・ロザンベール画廊に展示されていた。そこへイギリスに在住していたアメリカの富豪、エディット・ビーティーが訪れ、購入。ビーティー夫妻逝去後、遺族がロンドンの競売に出し、旧安田火災海上保険が落札した。
これが「ひまわり」のおおまかな「来歴」だ。

