信長包囲網は“ある武将”の死で消えた

組織の中にいれば、理不尽な要求や交錯する思惑の板挟みになることもあるでしょう。戦国時代の武将たちも、上下関係や自らの立場に悩み、ときには判断を謝ることがありました。本稿では、プレジデントオンラインのアーカイブから、強者に振り回される武将の姿を明かす3本の記事を紹介します。

1本目は歴史評論家の香原斗志さんが、信長とあの“戦国最強の武将”との関わりを考察します。その人物の死が結果として「信長最大の危機」を救うことになり、さらには豊臣政権の誕生にも影響したといいます。

2本目も同じく香原さんによる、苦悩する武将についてのレポートです。本能寺の変の裏に潜む“あるキーマン”は、信長との関係悪化に追い詰められていました。その人物の判断ミスが、明智光秀の謀反のきっかけになったかもしれないとまで指摘しています。

3本目は昼間たかしさんが、巨大勢力に翻弄された名門武将の一生をひもときます。信長に見捨てられ、秀吉の助けも得られず、悲惨な最期を迎えた尼子勝久。残された史料の信憑性も含めて、その生涯をフラットに考察します。

戦国時代の武将に必要だったのは、組織を利用しても依存せず、めまぐるしく変わる局面を見極めるしたたかさでした。先人たちの選択に学び、現代のビジネスシーンでも通用する知恵を手に入れましょう。

あと数年長命だったら豊臣政権はなかった…NHK大河ではチョイ役だった"戦国最強武将"の死の大きな意味

(2026年5月25日公開)

あと数年長命だったら豊臣政権はなかった…NHK大河ではチョイ役だった"戦国最強武将"の死の大きな意味
※写真はイメージです(写真=iStock.com/Josiah S)

織田信長にとって最大の危機はどこだったのか。歴史評論家の香原斗志さんは「足利義昭らの手引きにより信長包囲網が組まれ、次々と部下が離反していった時だろう。だが、その危機は一人の武将の死によって終わりを告げた」という――。〈続きを読む〉

 

「本能寺の変の首謀者」を当時の公家は知っていた…信長の長宗我部いじめで最も立場を失った明智光秀配下の武将

(2026年6月28日公開)

「本能寺の変の首謀者」を当時の公家は知っていた…信長の長宗我部いじめで最も立場を失った明智光秀配下の武将
月岡芳年 作「月百姿 月下の斥候 斎藤利三」(写真=CC-PD-Mark/Wikimedia Commons)

本能寺の変はなぜ起きたのか。歴史評論家の香原斗志さんは「近年の研究では『四国説』が有力だ。四国の覇者である長宗我部元親の取次を担った明智光秀は、信長の要求との板挟みにあい立場を失った。その裏には光秀以上に追い詰められていた人物がいた」という――。〈続きを読む〉

 

毛利に国を滅ぼされ、最後は織田に見捨てられ滅亡…秀吉に救いを求めた"名門生まれの戦国武将"の不憫な一生

(2026年6月7日公開)

毛利に国を滅ぼされ、最後は織田に見捨てられ滅亡…秀吉に救いを求めた"名門生まれの戦国武将"の不憫な一生
画像左=落合芳幾/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons、画像右=狩野元秀/長興寺所蔵/東京大学史料編纂所/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons

NHK「豊臣兄弟!」では、毛利勢に囲まれた上月城を救援に向かった秀吉が撤退し、城を守る尼子勝久が切腹するシーンが描かれる。かつて中国地方の大半を治めた尼子氏の末裔・勝久は、なぜ不憫な最期を迎えたのか。ルポライターの昼間たかしさんが、文献などを基に史実に迫る――。〈続きを読む〉

 

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