明治維新を描いた歴史小説で欠かせない登場人物の一人が坂本龍馬だ。歴史学者で日本女子大学名誉教授の成田龍一さんは「戦後、新しい龍馬像を提供したのは司馬遼太郎の『竜馬がゆく』だが、明治期に忘れられかけた龍馬を復権させたのも一冊の小説だった」という――。(第2回/全4回)

※本稿は、成田龍一『司馬遼太郎の幕末・明治『竜馬がゆく』と『坂の上の雲』を読む』(朝日文庫)の一部を再編集したものです。

坂本龍馬
坂本龍馬(写真=上野彦馬写真館にて井上俊三が撮影/Public domain/Wikimedia Commons)

いつ攘夷論者→開国論者に変わったのか

坂本竜馬が1863年のいま、勝海舟に信奉し開国論を思いつつ、しかし「時期がくる。それまでは沈黙して、ただ行動準備をしているにかぎる」と述べるのは、いうまでもなく司馬遼太郎の解釈に基づく坂本竜馬像です。

攘夷論者・坂本竜馬が、いつ、いかにして開国論者となったかということに関しては、歴史家を含めてさまざまな解釈がなされてきています。『竜馬がゆく』では、1864年の時期においても竜馬は攘夷論者として解釈されています。

竜馬は、長州びいきである。理知的には勝の開国主義に同調し、感情的には長州の勇敢な攘夷活動を支持している。この矛盾、複雑さは、おいおい意外な方向に統一されてゆくのだが、かれの長州びいきは、生涯かわらない。(4‐397。文春文庫〔新装版〕の巻‐頁を示す。以下同じ)

研究者でも解釈が割れる「空白期」

おそらくは、司馬のなかでも、この時期の竜馬についてはまだ解釈が揺れ動くところがあるようにみえます。また、竜馬にはいまだ不明な点が多く、具体的な事実をめぐって研究者のあいだでも見解の統一されていないことが多くあります。

そもそも、竜馬への、勝海舟に対する紹介者は誰かということをめぐっても、定かではありません。司馬が述べるように、竜馬は千葉重太郎といきなり勝邸を訪ねていったという説から、松平春嶽から横井小楠しょうなんを紹介され、小楠が勝を紹介したという説(池田敬正『坂本竜馬』、松浦玲『勝海舟』)、土佐勤王党の同志・間崎哲馬(滄浪)から春嶽、勝へいたるという説(飛鳥井雅道『坂本竜馬』)まで、多々あります。

司馬が典拠にしているのは、おそらく瑞山会編『維新土佐勤王史』(1912年)という、1300ページを超える大著でしょう。本章では、これまでたくさん書かれた坂本竜馬の評伝や研究をとりあげながら、『竜馬がゆく』における、司馬の竜馬像=竜馬解釈の特徴を探ってみましょう。