※本稿は、成田龍一『司馬遼太郎の幕末・明治『竜馬がゆく』と『坂の上の雲』を読む』(朝日文庫)の一部を再編集したものです。
思わぬ激戦となった「旅順攻撃」
旅順をめぐる攻防は、陸軍/海軍、日本/ロシアのすべてがかかわる戦闘となります。海軍の要請を受けて陸軍が作戦を立てるのですが、予想以上の激戦地となったうえ(日清戦争のときには、旅順はたった1日で占領していました)、日露戦争を象徴する場所ともなります。また、さまざまな組織上、軍命令系統上の問題が噴出してきた戦闘地でもありました。
「旅順」
というこの地名は、単に地名や言葉というものを超えて明治日本の存亡にかかわる運命的な語感と内容をもつようになった。(4‐225、文春文庫〔新装版〕の巻‐頁を示す。以下同じ)
旅順攻撃は、維新後近代化をいそいだ日本人にとって、はじめて「近代」というもののおそろしさに接した最初の体験であったかもしれない。要塞そのものが「近代」を象徴していた。それを知ることを、日本人は血であがなった。(4‐227)
第三軍を率いた乃木・伊地知への怒り
旅順の第1回総攻撃は、8月19日からおこなわれ、以後、第2回(9月19日から)、第3回(11月26日から)とつづけられますが、旅順港と大要塞は日本陸軍と海軍にとっての「最大の痛点」であり、(他の戦闘のあとにまとめて記されたり、挿入があったりして、時間が前後し分断されますが)多くのページが割かれ、司馬の主張がはっきりと提示され、『坂の上の雲』における日露戦争の叙述の前半の重要な部分となっています。
司馬が強調していることは、第三軍の軍司令官である乃木希典と、参謀長の伊地知幸介へのきびしい批判です。「無益の殺生」(長岡外史・大本営陸軍参謀本部次長の言葉)を繰り返し、多くの兵士を死に追いやる「乃木軍の作戦のまずさとそれを頑として変えようとしない頑固さ」(司馬は、「無能」という語さえ持ち出します)への批判、苛立ち、怒りを示していきます。

