国事に賭けた「風雲児」への共感
攘夷派とみなされる竜馬を印象付ける出来事ですが、ただ新撰組に襲われる原因については、司馬はいささか苦しげです。「風雲に参加していない」竜馬がねらわれるのは、かねてからの因縁の信夫左馬之助が、新撰組に入ったという設定になっているのです。
ここでも司馬は、竜馬に「心を変えろ、心を。日本を背負う気になってみろ」と自分を襲ってきた新撰組の面々に呼びかけさせています。
『竜馬がゆく』の物語としては、こうした竜馬と、権謀術数にたけた清河八郎とが対比的に描かれ、さらにその清河が暗殺される過程に一章の半分くらいをあて(「東山三十六峰」)、立ち入って描きます。
暗殺が、攘夷派と公武合体派とのあいだで繰り返され、血なまぐさい光景がみられる様相を描き、竜馬がそれとは異なる立場をとることを示します。とともに、司馬には、国事に賭けた男たちへの共感もあります。
すなわち、新撰組の面々(藤堂平助)にとっては、清河は「単に裏切り者」とされますが、竜馬にはさまざまな思いはあるものの、「風雲児」というにふさわしい人物として認識させています。司馬が、清河にある種の共感をもつということでしょう。
長州藩の「暴走」に意味を持たせた
むろん、このことは司馬の歴史認識とむすびついています。1863年といえば、対外的には長州藩が攘夷を実行し、下関からアメリカ、フランス、オランダの商船や軍艦に向かって砲撃をおこなったときです。
司馬が繰り返し述べる長州藩の「暴走」の時期ですが、司馬は『竜馬がゆく』で単純に「攘夷」「攘夷志士」を無意味としているのではありません。「外国人はかれらを現実以上に恐怖した」といい、〈西洋〉が「無数のサムライ」たちを敵に回すことに緊張感をもったことを指摘しています。
いわゆる攘夷活動が、外国人を殺傷したり、長州藩のように旧式軍隊で列強の海軍と戦うというのはそれ自体は無意味だが、外国政府に対して、日本人が他のアジア人とちがい異常な緊張力をもっていることだけは十分に示現した。(4‐64)

