長い間、ワイドショーのMCを務め、数えきれない識者の話に耳を傾けてきた大下容子アナ。上手な説明や流暢な話のさらに奥にある「また会って聞きたくなる話」とは?聞くプロフェッショナルが、琴線に触れた言葉の体験を振り返る。

「説明しているようで対話する達人」は誰?

28年間。これは私が生放送のワイドショーに関わるようになってからの歳月です。出演し始めたときはアシスタントMCでしたが、20年目からメインMCになり、さらに半年後には番組名に自分の名前がつきました。

今も責任の重さを感じながら、毎週月曜日から金曜日まで約2時間半の生放送をお届けしています。

番組ではレギュラーのコメンテーターのほか、テーマに合わせて識者をお招きし、政治や経済、事件などについて解説いただいています。これまで多くの方の話を聞いてきた中で、「もっと続きを聞きたい」「また来て話をしてほしい」と思った方の共通点をあげるとしたら、それは「腹六分目」なのかもしれません。

その道何十年という専門家のお話は、私にとって教室の最前列で授業を聞いているような役得の貴重な時間です。ただゲストにとってはイロハのイでも、私には難解で、すぐにはのみ込めないことが多々あります。

聞き手の理解度が追いついていない状態で、いきなり多くの情報を伝えられると、話し手と聞き手のギャップがますます広がっていく。番組をご覧になっている方も、「ちょっと待って」と感じることもあるのではないでしょうか。

もっと話を聞きたいと感じさせる方は、いきなりすべてを話すのではなく、まずはちょっと足りないくらいのところ――感覚としては腹八分目にまだ少し足りないぐらいで止めます。そしてこちらの反応を見て、きょとんとしているようなら小休止して聞き手の理解が追いつくのを待ったり、躓いていそうなところをもう一度説明してくれるのです。

要は説明しているようで、本当は対話しているのだと思います。「ここまでのところは大丈夫ですか?」と具体的に確認しながら進める方はあまりいませんが、話を聞きたくなる人は、目線や間といった非言語のところでこちらの理解度を探って、微調整しながら話を進めていくのです。

もちろんつねに対話型がいいわけではありません。たとえば、政治家はあらかじめこれを話そうと決めている意見や主張があって、こちらの質問とかみ合うかどうかに関係なく、伝えたいことを話していく方が多いように思います。目的や職業によっては、こうしたスタイルもいいのかもしれません。

ただ、自己完結型の話を聞いていて、こちらが質問できなかったり、質問に沿った答えを返してもらえなかったりすると、自分が透明人間になったような寂しさがあります。番組はチームみんなでつくるもの。自分の言いたいことだけを話す人は、聞いてくれる相手がいることでその場が成立していることに意識が向いていない気がします。

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(構成=村上 敬 撮影=二瓶 彩 衣装協力=レオナール、オート ジュエラー・アキオ モリ)