「100年後の自社を、一緒に考えてくれないか」
2008年のある日、私は戦略コンサルタントとして一人の創業経営者の前に座った。時価総額1兆円を超える上場企業を、自らの手でゼロから立ち上げた人物である。短期の業績は安定し、中期の戦略も明確だった。その会長が、私に向かって言った。
「100年後の自社が、どんな姿で存在しているかを、一緒に考えてくれないか」
しばらくして、創業100年を超える老舗企業の継承者からも、「次の100年、200年の自社を、一緒に考えてくれないか」と問われた。創業者と継承者で、立場も事業の歴史も違う。しかし二人とも、100年後という同じ時間軸で自社を考えていた。
私は、すぐには答えられなかった。3年後の市場予測ならできる。5年後の戦略立案もできる。しかし100年後という時間軸に立った瞬間、自分が学んできた知識が急に短く見えた。市場分析も、競合調査も、財務モデリングも、数年という時間軸のなかで設計された道具だったからである。
しかし100年という時間を置いた途端、分析の前提そのものが揺らぎ始める。いまの主力事業が属する産業は、100年後もそのまま存在しているだろうか。いまの競争相手は、そのときも競争相手であり続けるのか。そもそも、何をもって「同じ会社が続いている」と考えればよいのか。そして100年後の経営を担うのは、いまの創業者でも、いまの経営陣でもない。
問いを突き詰めていくと、未来の商品や市場をいくら考えても、答えには届かないことが分かってくる。事業を選び直し、人を育て、経営を次の世代へ渡していく組織のあり方まで考えなければならない。言い換えれば、問うべきは、優れた経営者が去ったあとも優れた判断が続いていく組織は、どうすればつくれるのか、ということになる。
古典が別の輝きを持って見えた
そのとき思い出したのが、学生時代から親しんできた古典だった。大学で文学や宗教学を学び、英語研究会の先輩から「トゥキュディデスを読んだか。孫子を読んだか」と言われて手に取った古典である。長らく仕事とは別の場所にあると思っていたそれらが、100年後という問いを前にして、別の“輝き”を持って見えた。古典には、人が力を手に入れ、組織をつくり、それを広げ、やがてその力を失っていく過程が、何世紀にもわたって描かれている。比較の対象を、長寿企業だけでなく、さらに長い時間の記録を持つ国家や帝国へ広げると、目の前の企業を見るときの問いが変わる。
それ以来、私は古典を、教養として読むだけでなく、戦略コンサルティングの現場で「未来を考えるための道具」として使い続けてきた。『アマゾンが描く2022年の世界』(PHP研究所)や『GAFA×BATH 米中メガテックの競争戦略』(日本経済新聞出版)では、『孫子』の「五事」を現代の企業分析へ応用し、アマゾンや米中メガテック企業の戦略と未来を読み解いた。10月20日に刊行する『古典で読み解く! 10年後の未来 何が世界を動かしているのか』(朝日新聞出版)は、そのとき見えた“輝き”に焦点を当て、「10年後を見通す方法論」としてさらに磨きをかけたものである。今回は、その方法をあの日の問いに向けてみたい。まずは、ローマ帝国の一場面から始めよう。


