創業の経験が失われたあとに、何が残るか

この問題を考えるとき、もう一冊、開きたい古典がある。14世紀の北アフリカに生きた歴史家イブン=ハルドゥーンの『歴史序説』である。

ハルドゥーンは、王朝は辺境の厳しい暮らしのなかで結束した集団によって興り、都市の豊かさのなかで世代を重ねるうちに結束を失い、やがて次の集団に取って代わられる過程を描き、その寿命の目安を3世代、およそ120年と論じた。その結束を、彼は「アサビーヤ」と呼んだ。創業の世代には、困難をともに乗り越えた経験がある。次の世代は豊かさに慣れていくが、それでも創業世代の努力を間近で見ている。

さらに世代が進むと、組織を成立させた困難や結束の記憶そのものが失われていく。この物差しを当てると、100年という時間は、創業の熱を直接知る人が組織に一人もいなくなる時間だということが見えてくる。本書の第5章では、このアサビーヤを軸に、欧州や米国の政治を読み解いた。

自社はいま、創業から何世代目にあるのか。創業の経験を、組織のどこまでが共有しているのか。序章で、「構造」を見る目を持つ意義の一つに「自分が今、どの局面にいるかがわかるようになる」ことを挙げたのは、こうした見方ができるようになるからである。

これを、現代の企業も一定の世代数で衰えるという法則として読む必要はない。私が経営の問いとして取り出したいのは、組織を生み出した経験を持たない人々に、何が受け継がれるのかという一点である。

後の世代には、やり方だけが残る

創業者は、なぜその顧客を大切にしたのかを知っている。なぜその仕事の進め方を選んだのかも、自らの経験として理解している。ところが後の世代には、やり方だけ残ることがある。理由が分からないまま前例として続け、環境が変わっても、その方法を変えること自体が創業の精神に背くように感じてしまう。創業者が何を実現しようとしたのかを受け継ぐためには、創業者が選んだ方法をあえて変えなければならない場面もある。継承の難しさは、ここにある。

三菱が100年を超えて続いてきたのは、王朝が3世代で失っていく結束を、血縁や創業者の記憶としてではなく、規律と誇りと判断の基準という形で、世代を越えて受け渡してきたからだと私は考えている。大切にする基準が共有されているから、一人ひとりの担当者に判断を委ねられる。判断を委ねられるから、その基準が実際の仕事のなかで生きたものになる。創業者の考えを語り継ぐことと、後の世代が自ら考えること。その両方がそろって、組織は世代を越えて力を持ち続ける。

日本には、創業・設立から100年以上の企業が4万6708社ある(2025年12月時点、帝国データバンク調べ)。同社の調査対象企業に占める割合は初めて3%を超え、業歴1000年を超える企業も11社を数える。それぞれの会社が、世代を越えて何を受け継ぎ、何を変えてきたのか。100年後の企業を考える手がかりは、遠い帝国の記録だけでなく、私たちのすぐ身近にも数多くある。

城下町の古い町並み
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