古典を読んだあと、経営の問いが変わる
古典を戦略コンサルティングで使うとき、大切なのは、現代の企業に似た逸話を見つけることではない。比べることを通じて、調べるべきこと、考えるべきことを具体的にすることである。
ローマの場面からは、新しく加わった人々が組織の中枢を担えるか、という問いが生まれる。モンゴルとオスマンの対照からは、指導者が去ったあとに何が組織をつなぎとめるのか、という問いが生まれる。ハルドゥーンの世代論からは、創業の経験が失われたあと、人々は何を拠りどころに判断し、行動するのか、という問いが生まれる。
その問いを、いまの組織に持ち帰って確かめる。事業の拡大に、人材の登用や権限の配分が追いついているか。理念は、日々の判断に使われているか。現場に責任を求めるのと同じだけ、その責任を果たすための権限を渡しているか。過去の方法を見直す提案を、組織は受け止められるか。ここまで来て、古典ははじめて経営の実務の道具になる。帝国と企業は目的も制度も違うからこそ、似ているところと違うところを見極め、古典から取り出した問いを現場の事実に照らして確かめていく。
古典は予言の書ではない
本書の序章で私が述べた「構造」を見る目とは、こうした見方のことだ。序章では、時代・地域・文明を超えて繰り返される「構造」を8つの構成要素に整理し、次を予測する手掛かりとして示した。目の前の出来事の奥にある、人の動機、権限の関係、成長と変化の仕組みに目を向ける。そうすれば、いま何を決めるべきかが見えてくる。序章には、こうも書いた。古典は、未来をズバリ言い当てる“予言の書”ではないものの、未来を生み出す「構造」を教えてくれる。
100年後に何を売っているかを、いまの私たちが決め切ることはできない。しかし、そのときに事業を選び直し、人を育て、必要な変化を起こせる組織を目指すことはできる。100年後の会社を考えるとは、そのときの経営者が何を決めるかまで今から決めておくことではなく、私たちの知らない環境のなかで、その人たちが自ら考え、責任を持って判断し、会社をつくり変えられる条件を残しておくことなのだと思う。
あの日すぐには答えられなかった問いは、いまも私が古典を開く理由の一つになっている。
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