ローマは、誰を「次の担い手」にしたのか
紀元48年、ローマで、帝国の統治に誰を加えるかが議論になった。
タキトゥスの『年代記』第11巻によれば、ガリア・コマタ(いまのフランスの大部分にあたる地域)の有力者たちが、ローマで公職に就く道、つまり元老院に入る道を求めていた。彼らはすでにローマ市民だった。しかし、市民として帝国に属することと、元老院に加わって統治の中枢を担うことは、同じではなかった。皇帝の側近の会議では反対論が相次いだ。イタリアにはまだ十分な人材がいるではないか、かつてローマに刃を向けた人々の子孫をなぜ迎えるのか、という声である。
これに対してクラウディウス帝は、元老院で、ローマが各地の優れた人材を受け入れながら大きくなってきた歴史を示した。タキトゥスが伝える演説では、いま古い伝統だと思われているものも、かつては新しいものだったと説いている。のちにリヨンで見つかった青銅板に刻まれた演説では、かつての王でさえ自分の家系ではなく他家の者、ときには外国人が王位を継いだことにまで触れている。元老院の決議を経て、まずガリアのアエドゥイ族に、元老院への道が開かれた。
この場面から取り出せる問いは、現代の経営にそのまま届く。
「後で入った人」にどれだけの未来を託せるか?
企業が買収や海外進出で成長するとき、事業も従業員も増えていく。しかし経営の中枢が従来の人々だけで占められていれば、新たに加わった人材の力は十分に生かされない。創業期を知る人々には会社をつくってきた経験があり、後から加わった人々には、それまでの組織が持っていなかった知識と経験がある。その両方を、次の経営の担い手として迎えられるかどうかである。
外から来た者に扉を開き、統治の中枢を担う人の範囲を広げていく。古代の帝国と現代の企業は違うし、ローマの長い存続を一つの政策で説明することもできない。それでもこの場面を読むと、企業の成長を見る目が変わる。規模がどれだけ大きくなったかに加えて、その成長のなかで、誰が判断を担えるようになったのかを見るようになるのである。

