日本の検察官からICCの裁判官に
国際刑事裁判所(ICC)の裁判官になってからの月日は、まさに試練の連続でした。本音を言うと、こんなに大変だと事前にわかっていたら、立候補しなかったかもしれません(そうは言っても、この先に何があるんだろうという好奇心のほうが先に立って、やっぱり立候補していたかもしれません。未知のことに対して、好奇心が強いために、自分の行く末についてもやや無謀な決断をしてしまうことがあるのは、昔も今も変わりませんから)。
就任からほどなくアフガニスタンの事態をめぐる騒動を経験し、新型コロナウイルスの流行に見舞われ、ロシアのウクライナ侵攻、パレスチナのガザ地区での戦闘にまつわる戦争犯罪に対峙することとなり、さらにアメリカの制裁による存亡の危機に直面……。次々と困難な出来事が起きて、年を追うごとに忙しく、また心理的な負担も大きくなっていったように思います。
私は日本で検察官を長く務めていました。ICCの裁判官に立候補したきっかけは、政府の方針にもとづいた上層部からの強い勧誘です。2016年、法務省の法務総合研究所の所長だった私は、本省の上司に呼び出され、「ICCの裁判官選挙に出馬してほしいが、どうか?」との打診を受けました。
私に白羽の矢が立った理由はいろいろあったようです。2007年にICCへ加わって以来、日本からは外務省出身の方が連続して裁判官に就任していました。ICCが扱う事件が年々増えていたこともあり、今回は捜査や裁判の経験のある刑事実務法曹から選びたいという事情があったのかもしれません。また、ICCでは、そのころちょうど男性の裁判官の比率が高くなっていて、女性のほうが当選しやすいという事情による判断もあったらしい。
「英語とフランス語で仕事」という不安要素
法務省の中で、私はいちおう英語が使えて、海外の事情をある程度知っている人間と見られていたようでした。アメリカに留学したことがあって、外国の人たちと関わる仕事も経験していたからです。
確かに私は、法務総合研究所で東南アジアを中心とする国々の法整備支援に携わっていたことや、国連アジア極東犯罪防止研修所という国連の地域研修所の教官を務めていたこともあります。そうはいっても、あくまでも国内での勤務経験だけです。必要に応じてときどき英語を使っていただけで、基本的にはほぼ日本人ばかりの職場で日本語を使って仕事をしてきました。そんな人間が、すべて英語、ときにはフランス語まで使う必要のある環境にいきなり飛び込んで大丈夫なのか。国際的な刑事司法分野にも詳しいわけではないし、はっきり言って不安でした。しかも任期は9年。あまりにも長い。私はすぐに「はい」とは答えられませんでした。

