命を救うための治療が、かえって患者を苦しめてしまうことがある。医師で作家の久坂部羊さんは「新米外科医のころ、患者を死なせまいと『とことんやります』と宣言し、延命治療を続けた。しかし、患者さんは全身がむくみ、目からも出血するなど悲惨な状態になった。今も心より申し訳なく思っている」という。なぜ善意の治療が悲惨な最期につながってしまうのか――。(第2回)
※本稿は、久坂部羊『欲張らない死に方 賢く老いるヒント』(ちくま新書)の一部を再編集したものです。
外科医になってわかった「延命の現実」
医学部を卒業したあと、私は1年目に外科の研修を受け、翌年は麻酔科の研修を受けて、麻酔科医として勤務した。
麻酔科医は手術のときに麻酔をかけ、手術中は患者の状態を管理するので、言わば傍観者として手術を見る。外科だけでなく、整形外科、脳外科、産婦人科、泌尿器科など、あらゆる手術に立ち会う。
すると、執刀医の上手下手、丁寧さや積極性の度合いがよく見える。中には手術の遅い医者、杜撰な手術をする者、がんの手術を適当に切り上げる者などもいた。私は若かったから、そんな医者に苛立ち、批判的な目を向けた。
2年後、外科にもどり、自分が手術をする立場になった。そこで知った現実に、それまでの私の批判がいかに的外れであるかを思い知らされた。
病院実習で見た乳がんの手術では、鎖骨をはずすと開胸(胸腔を開く手術)になる危険性があり、手術が大がかりになりすぎるので、そんな危険を冒すより、術後の放射線や抗がん剤、ホルモン療法で対応するほうが、よほど患者の利益になるのだった。
手術が遅く見えたのは、がんが血管に癒着していたり、神経を巻き込んでいたりして、慎重に操作を進める必要があったからで、杜撰とか、適当に切り上げているように見えても、総合的な判断ではそれが正解であったり、患者の利益になったりするのだった。

