4代目は「継ぐべきときではない」と家を出た

現在の4代目・正博さんは昭和31(1956)年、伊香保温泉で生まれた。少年時代の伊香保はいまとはまったく違い、湯治場の雰囲気が色濃く残っていた。

祖父からは、戦前に群馬県を訪れた昭和天皇に、「湯乃花饅頭」を献上したと聞かされて育った。

やがて東京の大学へ進学した正博さんは、卒業後に実家へ戻るべきか、就職すべきか悩む。大学卒業を控えた昭和54(1979)年は第二次オイルショックの不況下にあった。当時の伊香保温泉は団体旅行が中心で、客は大型バスで旅館に直行し、宴会後はそのまま帰る。土産は「伊香保温泉」と書いてあればよく、味は二の次。勝月堂のような小さな店に立ち寄る客はほとんどいなかったのだ。

「俺が店に帰れば人件費は一人分増える。でも売り上げはすぐには伸びない。親父に『就職しようと思うんだけど……』と相談すると、何も言わなかった。親父が何も言わないのはOKということなんです」

正博さんは「いまは継ぐべきときではない」と判断し、地元での就職を選んだ。通える範囲では車のディーラーか金融機関しかなく、県内で最も大きな群馬銀行を受けたところ、運よく合格した。

「『まんじゅう屋は継ぐつもりはありません』と嘘をついて、面接を突破しました」

勝月堂の4代目・半田正博さん
筆者撮影
勝月堂の4代目・半田正博さん

「親父の涙」に45歳で決断→50歳で継いだ

銀行員生活を続けていた正博さんが「勝月堂を継がなければ」と強く感じたのは45歳のときだった。祖母が亡くなり、父が落胆している姿を目の当たりにしたからだ。母から「仕事場で一人で泣いていた」と聞き、「親父が泣くなんて、よほどのことだ。これはまずいな」と思ったという。

同じ頃、妻からも相談があった。

「お義父さんが作るあんこが柔らかすぎて使えない……」

勝月堂のあんこは手練りで、火力と力加減が命。短時間で練ればサラリと仕上がるが、力が弱いとベットリしてしまう。「あんこが柔らかい」のは、父の体力が落ちてきた証拠だった。

そろそろ潮時だと感じた正博さんは、50歳で早期退職すれば退職金が割増になり、住宅ローンも返せると計算した。そうすれば余計な心配をせず店に向き合える。「あと5年、頑張ってくれないか」と父に伝え、代わりに土・日は休みなくあんこと蜜を作ることを約束した。そして50歳で店に戻る。父は75歳になっていた。