日本で初めて豚まんを売り出した店

老祥記のビジネスモデルは、ある意味で潔い。毎日、1つの味の豚まんを従業員総出でつくり、販売する。他に扱う商品がないわけではないが、その売り上げの大部分は、100年以上つくり続けてきた豚まんから生まれる。30坪の店舗でこの豚まんをつくり、販売し続けることで、創業家の生計と、パートを含め30人近くの雇用を支えている。

肉まん
一日に2万個の肉まんを店頭で作り、その日のうちに売り切る。[出典=株式会社老祥記 プレスリリース(PR TIMES)]

老祥記の豚まんのおいしさの鍵は、皮に使う麹だという。豚まんの皮の生地は、小麦粉(強力粉)と水に麹を合わせ、発酵の進行を調整しながらつくられる。老祥記の歴史は、その麹の歴史でもある。

老祥記の創業年である1915年の日本は、第1次世界大戦が続くなかでの大戦景気にわいていた。この年、初代曹松琪が日本人の妻の千代とともに神戸の港に降り立ち、南京町に新しい店を開く。それは中国料理の包子パオツの専門店だった。日本人たちに親しみを持ってもらえるよう、松琪と千代は包子を「豚饅頭まんじゅう」と呼ぶことにした。こうして、日本初の豚まん店「老祥記」が生まれた。

戦禍や震災を越えて守られてきた麹

曹松琪は中国浙江省の出身である。彼は横浜や上海などで働いてきた料理人だった。神戸での開店にあたり、松琪は包子の皮をつくるための麹を中国から持ってきた。麹による発酵は、風土や環境による変化が大きく、品質を安定させることが難しい。しかし麹でつくる生地には日本酒のような風味があり、独特の食感がある。夫婦は、発酵の管理の方法を試行錯誤しながら確立し、納得のできる豚まんの味を神戸で実現していく。

この麹の種は、千代、2代目の穂昇、3代目の英生を通じて、今に伝えられ育まれている。100年を超えるその歴史において、老祥記は太平洋戦争の空襲や、阪神淡路大震災などの災禍にも襲われた。そうした中でもこの麹は守られ、今も生き続けている。そこから生まれる味に、老祥記はこだわり続けている。