なぜ松下幸之助は「経営の神様」と呼ばれるようになったのか。偉人研究家で著述家の真山知幸さんは「卓越した技術力や先見性だけではない。経営危機でも従業員を守り抜き、人との信頼を何より重んじたことこそ、松下幸之助の最大の強みだった」という――。
※本稿は、真山知幸『大失敗にも大不況にも負けなかった社長たちの物語』(彩図社)の一部を再編集したものです。
「ナショナル」名付けのきっかけは新聞
扇風機の碍盤、アタッチメントプラグ、二股ソケット、自転車ランプ……。自らの苦難を卓越した技術力で乗り越えてきた幸之助だったが、それだけでは名経営者として名を残すことはなかっただろう。彼は、技術だけでなく、時代を読む先見性や人心掌握術にも長けていた。
新聞でたまたま見た「インターナショナル」という用語が「国際的」という意味だと知ると、幸之助は「国民の、全国の」を意味する「ナショナル」という用語をすぐさま商標登録した。大正14(1925)年のことである。
加えて、「買って安心・使って徳用 ナショナルランプ」と新聞広告を打ち、自転車ランプの販売を後押しした。ナショナルランプが月3万個を出荷するヒット商品となったのは、幸之助のこうしたブランド戦略や宣伝効果もあったのだ。
世界大恐慌で売り上げ半減、在庫の山
ところが昭和4(1929)年、好調だった松下電器に、アメリカの株式市場暴落に伴う恐慌、いわゆる世界大恐慌が襲いかかる。製品の売り上げは半減し、倉庫に入りきらないほどの在庫の山を抱えることとなった。また、工場を建設した直後だったために資金も不足。挙げ句の果てに幸之助が病に倒れ、臥してしまう。
あらゆる会社がリストラを始める中、松下の幹部たちも病床にある幸之助のもとに訪れ、人員削減を提案した。幹部たちにとっても、会社を守るための苦渋の進言である。しばらく思案に暮れた幸之助だったが、固い決意を持ってこう言った。
「賃下げも、クビ切りも結構やな。だがしかし、ウチはよそのように人のクビは切れん」

