令和の音楽シーンのど真ん中にいる音楽家は誰か。音楽評論家のスージー鈴木氏は「星野源、米津玄師、あと2名のアーティストを挙げたい。『推し活』に依存せず『ポップスター』として君臨する理由が明確にある」という――。

※本稿は、スージー鈴木『ライバルたちのJポップ史 ~70年代フォークから令和ヒットの裏側で』(祥伝社)の一部を再編集したものです。

星野源から「趣味のよさ」を感じる理由

4人の中で、もっとも年長は、1981年生まれの星野源である。私の15歳下。Vaundyよりも約20歳も年上。

「POP VIRUS World Tour in Taipei」開催のため、台湾・台北に訪れた星野源
写真=TPG/ゲッティ/共同通信イメージズ
「POP VIRUS World Tour in Taipei」開催のため、台湾・台北に訪れた星野源(=2019年12月13日)

ただ、彼が2015年に放った傑作アルバム『YELLOW DANCER』を聴けば、15年以前の平成Jポップとの間に断層があること、逆に、その後の米津玄師、藤井風、そして、ふた回り下のVaundyと地続きであることがわかる。

15年といえば、しばしば「サブスク元年」といわれる年。新しい音楽メディア環境を引き連れて、星野源がやってきた!

『YELLOW DANCER』を聴いて驚いたのは、妙な言い方になるが「趣味のよさ」だった。

15歳上の私が聴いてきたような、邦楽洋楽の名曲を(私などよりも、もっと意識的に)聴いて、それを彼なりにアレンジしてミックスして紡ぎ出した、とても洗練されて知的な、つまりは趣味のいい音。『YELLOW DANCER』がもたらした革命は、「趣味のよさ革命」だったと思う。

アルバムの音世界から想起したのは、まずは、細野晴臣や山下達郎の初期作品だったが、それよりも直接的に想起した、ある音楽ムーブメントと、その中のあるアルバムがあった――。

星野源から感じる「音楽ムーブメント」

「ある音楽ムーブメント」――。星野源から私は、90年代半ばの「渋谷系」を思い出したのだ。具体的には、ピチカート・ファイヴやORIGINAL LOVE、さらに小沢健二まで含んだ「系」。

「ビーイング系」や「小室ファミリー」に寄りかかっていった音楽シーンのアンチテーゼとして、過去の洋楽へのリスペクトに溢れた、ちょっぴりマニアックで、それこそ「趣味のいい」サウンドを追求した音楽ムーブメントを指す。

「遅れてきた渋谷系」としての星野源――。

ただ、星野源がある意味で渋谷系を超越した点は、その大衆性にあったと思う。彼の「趣味のよさ」は(一部の渋谷系のように)、ツンと澄まして聴き手を遠ざけるものではなく、むしろ大衆に開かれる方向に寄与する。

そして『YELLOW DANCER』から直接的に想起した「あるアルバム」とは、小沢健二『LIFE』(94年)だ。「もっとも開かれた渋谷系」という感じのアルバム。かつ、私のくたびれた20代後半を彩ってくれた重要な一作。

でも「開かれ度合い」でいえば、『YELLOW DANCER』は『LIFE』と張る。『LIFE』の1曲目『愛し愛されて生きるのさ』と『YELLOW DANCER』の1曲目『時よ』は、私にとって等価、そして同義だった。

その後の星野源の作品の中で、個人的なフェイバリットを挙げれば、『Family Song』(17年)である。日本発のソウルバラードの傑作といっていいだろう。

黒人音楽をマニアックかつ求道的に追求してきた日本人音楽家の先人たちは、神格化の反動として、結局独自世界を確立できず、単なる痛い物まね(失礼)に終わってしまっていた。

しかし『Family Song』を聴いて、星野源なりのアレンジとミックス、さらには「趣味のよさ」によって、この国にベストマッチなソウルバラードがいきなり確立したと感じたのだ。