「突然変異種にして特定外来種」と感じる理由

先に触れた星野源の「趣味のよさ」は、作品の中でオマージュされた原典音楽を(ある程度)共有できることから感じられるものだ。

しかし米津玄師は、いうなれば突然変異種にして特定外来種。「あの音楽家のあの作品のあの部分から、こう影響を受けて……」という氏素性が(少なくとも私には)説明できない。

もちろん創作活動自体は、過去作品からも十分に刺激されているに違いないのだが、単なる引用を超えて、米津玄師自身がじっくり昇華し、熟成した結果、米津玄師流独創サウンドが出来上がる。さらに作品の音の隅々まで、彼一流の独創性、美意識を張り巡らせている(このあたり、「ボカロP」出身という経緯も影響していると思う)。

カラフルなデジタルイコライザーのエフェクト
写真=iStock.com/Wavebreakmedia
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結果生まれるのが、あの説明の付かない、でも「恐れ入りました」とひれ伏さざるを得ない楽曲群なのだ。

星野源同様、1曲挙げるとすれば、私なら『死神』を推す。古典落語「死神」をモチーフにしたJポップ、と書くだけで、もうべらぼうに独創的ではないか。

DREAMS COME TRUE「芝浜」、Mr.Children「火焔かえん太鼓」、GLAY「まんじゅうこわい」……なんて曲など、あり得ないだろうという話をしている。3時間分ぐらいの独創性を詰め込んだ、たった3分の曲。

米津玄師のプレイリストをスマホでずっと聴いていると、妙な感覚に襲われている。独創性、説明の付かない感じが極まって、何というか、ひどく疲れてくるのだ。ビートルズやはっぴいえんどを聴いて、耳を中和させたくなる。

約60年生きてきて、こんな音楽家は、1人もいなかった。無論、これは褒め言葉である。それも最上級の。

お茶の間の度肝を抜いた藤井風

6歳上の米津玄師の向こうを張る突然変異種としての藤井風(97年生まれ)については、個人的に決定的な「原体験」ならぬ「風体験」の話から入りたい。

それは作品そのものではない。ライブでもない。いや、ある意味で作品でありライブか――21年のNHK紅白歌合戦である。

今となっては懐かしいこの年の紅白は、例年と違ったたたずまいだった。

まずNHKホールが工事中のため、会場は東京国際フォーラム。そしてコロナ禍ということで、観客は間引かれ、非常に寂しい空気感の中で開催された。

後半戦の途中、紅組・坂本冬美『夜桜お七』のあとを受けて、藤井風が、奇妙な形で画面に現れる。

まずは岡山県の自宅から『きらり』を歌う。キーボードを足に乗せての、実にラフな形での演奏と歌。しかしこれが聴かせる。ラフながら確かなボーカルも魅力だったのだが、私が注目したのはキーボードの演奏だ。

指のタッチが強く、また細かいリズムを完全キープする。妙な表現だが、鍵盤が指にまとわりついている感じすらする。幼少期から呆れるほど鍵盤を叩き続けた者だけが醸し出せるグルーヴだと直感した。

そしてカメラは急に東京国際フォーラムへ。画面右上に「LIVE」の文字。藤井風がゆっくりとステージへ。視聴者にとっては、岡山の自宅から、突然会場にワープしたように見えたのだ(種を明かせば、自宅映像は収録済だったという映像トリック)。