※本稿は、スージー鈴木『ライバルたちのJポップ史 ~70年代フォークから令和ヒットの裏側で』(祥伝社)の一部を再編集したものです。
「時代の寵児」だった2人のアイドル
1980年代のアイドルのライバル関係を論じるとき、80年デビューの松田聖子に対しては、同じく80年デビュー組の河合奈保子、そして82年デビューの中森明菜には、同じく82年デビュー組の小泉今日子をあてがうべきだという声もあるかもしれない。
ただ、歌手として音楽家として、に加えて、まさに「時代の寵児」として80年代の「顔」となったという意味ではやはり、松田聖子の「ライバル」は、中森明菜しかないと断言できる。
そんな80年代という時代を背負った、若き女性シンガー2人について特筆すべきことは、音楽家としてのありようが実に対照的だということだ。
その象徴は、楽曲のキー(調)である。80年の『裸足の季節』から89年の『Precious Heart』まで、80年代にリリースした27枚のシングルのほぼすべてがメジャー(長調)キーの松田聖子。「ほぼ」と曖昧な言い方になるのは、『時間の国のアリス』(84年)と両A面扱いだった『夏服のイヴ』だけマイナー(短調)キーだから(調性がはっきりしない曲だが)。
逆に、82年の『スローモーション』から、89年『LIAR』まで、23枚のシングルがすべてマイナーキーの中森明菜。こんなにわかりやすい対比があるだろうか。
聖子と明菜を支えた異なるファン層
「明」の松田聖子と「暗」の中森明菜。「もっと快活に、もっと洗練を」という80年代の「明」の空気を体現した松田聖子。その背後に潜んでいた「もっと陰鬱に、もっと内省を」という80年代の「暗」の感情を映し出した中森明菜。
「明」と「暗」がきれいに分かれるから、ファン層についても当時は「聖子派」「明菜派」が、きれいに分かれた。
私はといえば、当時、それほどアイドルは聴いていなかったものの、どちらかといえば「聖子派」だった。
作詞家・松本隆を核として、松任谷由実や細野晴臣、大瀧詠一など、(広い意味での)はっぴいえんど/ティン・パン・アレー系人脈が、シングルの作家陣として、彼女の足元をがっちりと固めていたことも、そういう人脈のファンとして好感が持てた。
対して、中森明菜はデビュー当初、どちらかといえば、(当時の私とは異なる)いわゆる「ヤンキー」票を集めることでブレイクした。
しかし、その後、後述するように、都市に生きる女性の人生観・疲労感を体現する方向に転じてからは、女性層を中心により広い地盤を固め、松田聖子との二枚看板となっていく。
そう、2人の共通項は、当時の「アイドル」としては、男性票だけでなく、女性票の比率が高かったことである。
80年代後半、2人がアイドルという殻を完全に破った頃には「聖子派」「明菜派」ともに、男女比率はもう拮抗していたのではないか。あなたはどっち派でしたか?

