陰鬱な時代を吹き飛ばしたアイドル・聖子

「70年代は陰鬱で、80年代は明朗」――と書けば、単純過ぎて粗雑な二項対立に聞こえるかもしれないが、当時リアルタイムで生きていた者として、「陰鬱→明朗」という時代の変化は、目の前で実際に、確実に起きた変化だった。

少し大げさにいえば、80年になった瞬間、モノクロームからパステル色の総天然色に、景色がガラッと変わった感覚があった。そして、そんな景色のど真ん中に、松田聖子がいた。

とにかくキュートで、カラフルで、ドライで、ソフィスティケートされていて、長髪の男女が四畳半で息を潜めているような、70年代の陰気な空気を吹き飛ばす存在として80年、それも「80年度」が始まる4月1日に『裸足の季節』でデビューする。

レコード会社はCBSソニー。70年代に同社を背負った山口百恵は80年に引退。相前後して80年にデビュー、80年代のCBSソニーを背負った松田聖子。山口百恵から松田聖子への変化が、80年代への時代の変化そのものだった。

そんな鮮烈なデビューを支えたのは、何といっても松田聖子の爆発的な声だ。当時CBSソニーで、松田聖子のプロデューサーだった若松宗雄わかまつむねおは『NEWSポストセブン』(19年4月18日)のインタビューでこう語っている。

「きっかけはCBS・ソニーと集英社が主催したオーディションでした。各地区大会に出場した人のカセットテープを片っ端から聴いていたら、その中に桜田淳子の『気まぐれヴィーナス』を歌う聖子のテープがあった。聴いた瞬間、とんでもなくいい声に出会ったと思いました。彼女の伸びやかで透明感のある歌声には、聴く者の心を捉える感性があったんです」

初期の人気を支えた「爆発的な声」

私自身としても、デビューからちょうど3カ月後となる7月1日に発売されたセカンドシングル『青い珊瑚礁さんごしょう』を初めて聴いたときの衝撃は忘れられない。

パノラマに広がるの航空写真海と空、沖縄
写真=iStock.com/voyata
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衝撃の源は、何といっても歌い出し《♪あゝ私の恋は》の「あゝ」だ。このパート、実は音程が非常に高い。オクターブ上の「A」の音。つまり「あゝ」は「Aアー」なのだ。

音程が高いにもかかわらず、抜群の声量で歌いきっていて、かつ声質も、金属的にキンキンした感じがなく、むしろつやっぽく、そして野太い。抜群の声量については、この曲の作詞を担当した三浦徳子みうらよしこのいい発言がある。

とにかく声量がありましたね。スタジオで彼女の歌を初めて聴いたとき、いくらでも声が出るんで驚きました。マイクなんかいらないくらいで、今現在の声とは全く違っていたんじゃないでしょうか(『月刊カドカワ』95年7月号)

その後、初期のような爆発的な声は(おそらく目の回るような忙しさからの疲労の結果)失われるものの、松本隆というパートナーに恵まれ、また先述のように、松本隆を中心とする充実した人脈にも恵まれ、いわば「護送船団方式」とでもいうべき安定的体制の中で、自らの音楽世界を広げていく。